このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。
デーヴィッド・アイク、ニューズレター 2006年11月18日号
偉大さの存在の中で…
クレド・ヴサマズル・ムトワ
南アフリカの北ケープから、こんにちは、みなさん…
「偉大」と「偉大さ」という言葉は、その両方がはるかに不足した世界において、より気前よくまき散らされています。
私たちは、「偉大な」政治家とは、影のご主人さまに仕え、彼ら自身の両党を使って「権力」の方針を蹴とばしつばを吐きかける熟練したマニピュレーター(操作者)たちだ、と聞かされます。「偉大な」ビジネスマンとは、彼らが招いた犠牲者への結果の配慮や、慈悲の思案無しにすべての競争を押しつぶすことを厭わない貪欲によって消費する人々にすぎない、と聞かされます。
どのような形のなかにも操作することについて「偉大」は無く、他の人を犠牲にして「進歩すること」、あるいは自身の汚れた巣を羽毛で覆うために他者の努力を食い物にすることは偉大なことではありません。「偉大な」という言葉は、過剰使用と誤解を通してその意味をずっと失っています。「偉大さ」は権力、名声あるいは富の獲得ではありません。グリース・ポール [訳注:Greasy Pole英国の伝統的な競技]を組織して、油脂を塗られ突き出たつるつる滑る柱をどのくらい這い進めるかという競技ではないのです。
多くの点で、「偉大さ」は言語の限界によって定義さえできません。あなたがその存在の中にいるとしたら、「偉大さ」とは単純に“知る事”なのです。今週、私は偉大な存在を前にしており、その名前はクレド・ヴサマズル・ムトワであると伝えることができます。
私はこの並外れた男性と年に数回話し、時々彼は、「デーヴィッドさん、あなたは南アフリカに来る必要があります。私はあなたに会わなければならないのです」と言います。彼はこれまでに想像できうる最も魅惑的な友人なので、私はいつも行きます。そして、より深く自分自身と世界についての知識や理解を得ること無しにここを去ったことはありません。
彼のその言い回しや陽気な冗談とか、驚くべき言葉の才能のせいだけではありませんが、しかし本来ならそれで十分でした。
彼は黒人の男性の顔をしていますが、彼の精神の世界において言語と文化の間を境い目無くたやすく移動することができます。伝統的衣装で飾ったズールー族のシャーマンとともに座っていると、その次に彼の口から出てきた言葉は:「デーヴィッドさん、サタンがあなたを後ろからつつきたくなる前に、どのくらい長くばかばかしいナンセンスの存在であるサタンをつつき続けることができますか?」と言う風に文化的な分断を越えて話します。
クレドは1921年に生まれ、何回も人生を生きています。そのことは何回も生まれ変わると言う意味ではありません。私はたった「一人」の彼が生きる人生について話しています。彼の詳細な伝記はその人生の長さと関連性からも「シェイクスピア」の作品より勝るでしょう。
彼は、狂信的キリスト教徒だった暴力的な継母によって育てられました。ほとんどの黒人の子供たちのように、「偉大な」大英帝国の到来後に、彼は押しつけられたキリスト教の押しつけられた信念に従うことを強制されました。特に、ローマ・カトリック教会によってです。昔も今も、アフリカに対するその教会の関係は、人類の健康に害をもたらす黒死病のようなものです。この最も虐げられた大陸へのキリスト教の到来は、それらの邪悪で不道徳な黒人の魔術師たち、悪魔の所有物である「イエスの軍隊」―イエズス会によって先導されました。これらはドミニコ会の悪魔の手先によって、的確に援助されました。
イエズス会とドミニコ会の指導者たちはイルミナティの血脈であり、かくのごとく、彼らのDNAは、感情の欠落と心の冷酷さを確実にし、弱者への理想的な虐待者と文化の破壊者に仕立てます。感情のないところに、限度はないのです。
どんな風にアフリカ人と彼らの子供たちは、そのような病的な精神と魂の欠如の中で苦しめられたことでしょうか。クレドは、ズールー族の子供たちのために用意されたキリスト教ミッション・スクールへ通うことを強制されました。15歳の時、黒人の男として「イエス」を描写したという大胆不敵さのせいで、キリスト教の学校の教師から気絶するほど打たれました。それから、ダーバンの近くのマリアン・ヒル修道院にも在籍しました。2005年に彼が私をそこへ連れて行ってくれた時、彼の眼の中の悲しみがすべてを語っていました。しかし、「伝統的な知識」を「悪魔の所業」として描写するのにカトリック教会が躍起になっていた、そして依然として奮闘しているこの場所に、彼がシャーマンの衣装と紋章を身につけてあの日に戻るのはなんと愉快なことでしょうか。
彼がシャーマンとして、それら修道院の敷地を歩きまわるのをずっと見ていると、彼の破壊できない魂と正しいと信じることを行なう決意の証明のようです。
青年のとき、瓶に絵を描いて売っていた鉱山で男により強姦されました。彼の「キリスト教徒の」父親と継母は彼に生じた出来事を非難し路上に放り出しました。そして、祖父のところへ一緒に暮らすために行きました。それは彼の長く信じられない人生の転機で、そして最高位のシャーマン「サヌーシー」になりました。彼が伝える知識の象徴として絵と金属加工を用いてそのような威厳のあるものを作成できる熟練した才能ある職人でもありました。
彼の祖父から植民地の権力によってひどく残忍に抑圧されてきたアフリカの古代の風習を学びました。侵略者が行ったところどこでも、イギリスと他のヨーロッパ「帝国」は、滑稽なキリスト教の教条(ドグマ)そして偽りの「歴史」観を押し付けたのです。
それは、原住民の古代の知恵と何処より来た歴史的な経路の総体的な意識を払拭するよう仕組まれ冷酷に計算された、原住民の精神へ対する戦争でした。同じことはすべての国と文化で起きました。アフリカの征服は世界の征服です。なぜならその同じ方法論がすべての場合に適用されたからです。
クレドは家の周りにストーンサークルを建てています。
-彼のキリスト教徒の虐待者はその道から彼をそらすことはできませんでした。
今週、クレドは私にこう言いました。悪名高いイルミナティの表看板セシル・ローズのような植民地の指導者たちは黒魔術師です。彼らはアフリカの部族の迷信を学び、それから原住民を怖がらせて服従させるため、あるいは彼らの神々が同じ植民地の指導者となって戻ってきたよう信じ込ませるために迷信を利用しました。このように、スペイン人の中央アメリカへの侵略者コルテスは、彼を神として拝ませるようアステカ人をだますため、ケツァルコアトル(羽根のある蛇)の再来の役を演じました。この悪知恵を原住民が見抜いた頃には事実上抵抗するには遅すぎたのです。
他国と同じく、アフリカでシャーマンとそれに類する知識と歴史の語り部たちは、植民地の軍隊によって殺されました。クレドの言葉で、侵略者は「シャーマンの精神を搾取して、それから殺した」。彼らは、エネルギーを操る自分自身の能力増強のためにシャーマンの知識をほしがったのですが、その同じ知識が一般大衆の間に流布されるのを阻止したかったのです。
だから、ネイティブ・アメリカン、中央および南アメリカの原住民、オーストラリアのアボリジニとアジアの知識の語り部もかくのごとくでした。ヨーロッパで異端審問があったとき、ドミニコ会の修道士が「魔女」とバビロンの教会の再設置であるローマ・カトリック教会の嘘を頑として信じないだけで「魔女たち」と「悪魔の子供たち」を焼き殺し虐殺しました。それは、アフリカのシャーマンへの抑制と殺害に対する背景でもあり、クレドが唯一ひとり残りました。けれど、勇気はこの偉大な魂の中に欠けていなかったのです。彼は潜在的帰結を恐れていないということではなく、とにかく、当然のごとく行動します。
知識は、入植したファシストたちの前衛的な世代を通り抜け、黒人アフリカ秘密結社の地下組織に取り入れられました。暴力と破壊と言うイルミナティの要求した秘密を手に入れ、本当に知識を望み生き残ることしか頭にないもののみを確認し、少数のみが恐ろしい通過儀礼(イニシエーション)を克服し進んで受け入れました。
妻のヴァージニアは、「サンゴマ(古い占い師)」あるいはクレドの教えを受けたシャーマンである。
クレド・ムトワの人生において、12の主要作品を作りました。そしてそれから表題だけを描写したものもあります。彼がレプティリアン・アジェンダで語った素晴らしい話の中にエイリアン「グレイ」によって誘拐されたものがあります。そしてそこで学び、多くの経験豊かな時間を過ごしました。「蛇人間」あるいは「チタウリ」と彼が呼ぶもの、「蛇の子供たち」あるいは「ニシキヘビの子供たち」への変身現象を何度も目撃しました。そして今週、私たちが彼と一緒に制作している映画の中のレプティリアン・アジェンダをさらに拡大させて再びこれについて詳細に話すでしょう。
彼がその知識への接近をし得たとき、今日の世界を操作するイルミナティ一族になった血脈、雑種の血脈を作るために人間と異種交配したレプティリアンの経過を聞き知りました。古代世界の「高貴な」血脈となったのは彼らです。「ブルーブラッド(貴族)」たちは、ヨーロッパ人が彼らの王族と貴族階級に用いる同一の用語を伴って到着するずっと前に、長くアフリカで知られていました。
ムトワが「大いなる秘密」とそこに書かれてある変身する蛇の経過についての暴露を読んだ後で、1998年、私に面会を申し入れた時がお互い知りあえた理由でした。私たちが異なった道から同じ結末にたどり着いた方法は、それ自体注目すべきことです。しかし、私たちは共通してそれほど多くの他の物事を経験していたのだと、すぐに気づきました。私が彼とともにいる時は私自身の魂と意思疎通しているかのようなのです。そのようなことは論理的関係の力強さと完全さゆえ起こります。
クレドとともにいる時の楽しみの一つは、彼が古代のアフリカの知識の語り部である間、彼は無関係で脇道へそらす迷信を捨て去り、内部に位置する見事な真実だけを残します。せいぜいおかしな最悪の全く正気でない迷信と儀式によって、知識は汚染されて来ていることを彼は知っています。
しばしば彼の末席と拠り所の間に位置した非常に困難な場所の一方には、キリスト教あるいは西洋「文化」に傾倒したシャーマンの風習を拒絶するアフリカの人々がいます。ムトワは邪悪あるいは狂っていると彼らは考えます。もう一方には、迷信を保持し、あるいは最大の裏切り者として疑わしい能力を売る「シャーマン」およびそれと似た人々がいます。彼らはムトワが自分たちと安易に儲かる仕事を徐々に蝕んでいると考えています。
自国においてさえ、クレド・ムトワのような人はいないのです。
アパルトヘイトの間、ヨハネスブルグ近くの黒人居住区のソウェトで、暴徒によって彼は何度も刺され、生きながらにして焼かれました。黒人たちが蔑視する白人の新聞によって、文脈の通らない理由で引き合いに出されていたのですが、いまだ黒人たちはそれを信じていて、彼の家の外で襲いました。彼の当時の妻、セシーナは強姦され、そしてムトワはガソリンを浴びさせられる前に何度も刺されました。ちょうど暴徒たちが焼こうと準備したら、指導者の一人がやめるよう叫びました。その時までに、ムトワはあとわずか数秒で死ぬところでした。
金属くずから作る驚くべき創作で、クレドの家を飾ります。
しかし未だに、彼の魂は降伏するのを拒みました。人々にこの苦境を自覚させるため、アフリカの伝統と知識の遺留物が払拭されると言う恐怖を与える西洋「文化」の潮流を阻止するために、日々彼は働き続けます。
彼は息子の死、姉(妹)の殺害そして非常に起こるべきシャーマンの叔母の殺害に耐えました。彼は人生と戦いにおいて多くの企てを生き抜いてきました。糖尿病(故意に与えられた)と、前立腺癌にもかかわらず、窮地を寄せ付けないまま現在にいたっています。北ケープのヒーリングセンターで、彼女自身もシャーマンであり「サンゴマ」である、素晴らしい妻のヴァージニアとともに他の人々を助けることを続けています。
ほとんどの本物の治療家のように、自分自身の事よりも他者を助けることについてずっと関心があります。彼とヴァージニアは、この国とアフリカと他の多くの地域を荒廃させるエイズに罹った人々を世話することに偉大な成功を収めてきました。彼らの治療は、自生の植物からの薬草療法のみならず、患者の心理状態を変えることも含みます。西洋のエイズ「治療」はわざとアフリカを殺している、と彼は言います。
彼とヴァージニアはエイズ罹患者に何も請求しないのです。なぜなら「この病気に苦しむ何も持たない人々から、どうしてお金をとることができるだろう?」と彼は言います。「伝統的治療家」を主張する人々は、大体において効き目の無いエイズ治療法に多額の金額を請求します。
クレドは南アフリカにおいて多くのグループから人気がありません。というのも、彼の仕事方法とでたらめな事はしないという事実のせいです。彼は、民衆を食い物にして虐待する自国の人々からの敵意をも引き寄せています。
例えば、彼は薬物中毒を治す植物を知っていますが、彼がそれを栽培し始めてその療法が成功すると証明した時、彼は武装した黒人の薬物の売人の訪問を受けました。彼らはムトワがそれをやめなければ、彼と家族は死ぬだろうと告げました。コンクリートのような固い冷たい心情は、すべて皮膚の色の濃さから来ます。
さらなるクレドの芸術
クレドの夢は、彼の死後に活きた知識を保存するために、伝統的な風習に基づいた病院を建設することであり、私アイクがここにいる間に地方の権威者がこの土地にその病院を建設することに賛成してくれました。今、残りのお金を集めるだけで、その夢は現実的です。彼とヴァージニアは、アフリカの「新しい」大学と学校において語られることのない世界と生命の知識があることを新世代の若者に知ることができるように教えられる同じような多くの人々を訓練しています。
彼は今85歳ですが、多くの挑戦にもかかわらず、もう死ぬかもしれない20歳の人間の記憶と変わらない明瞭さであるとわかりました。たやすく、世界中の古代の民話から名前を引用したり、異なる言語からの類似した言葉や、過去と現在の世界の指導者について、その場所と彼らの伝説が流れるように出てくるので何時間もカメラと共に共有した知識の数々は、本当に愉快だと言えるものでした。
南アフリカのティンティナー(Tintiner)一族は、あからさまに彼の本を独占支配し、ムトワがそこから印税を得られません。それはむかつくような思いです。これはどの作家でも創造性の才能ある人々でも理解することで、それは彼には恒常的な苦痛になります。あなたの本はあなたの子供であるように、この恐ろしい権利の侵害を終わらせるためになされるべきことを、私たちは今探しています。
しかし、ここで私たちが制作している映画は、すべてのみなさんにこの男性の蔵書の知識と叡智である内容を共有することを可能にするでしょう。私にとって、この場所を去ることは多くの悲しみをもたらすことですが、それはこの偉大な魂への私の繋がりのためです。彼に降りかかったすべての苦痛と挑戦と拒絶にもかかわらず、自国の人々と世界への彼の愛情は、いつも私の不朽の経験の一つとなります。
クレド・ムトワと「偉大さ」はひとつであり、まったく同じなのです。
【翻訳委員会◇小動物】
このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。
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