このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。
デーヴィッド・アイク、ニューズレター 2006年11月26日号
骨を放り投げること…
…最先端の「科学」
こんにちは、みなさん。
私はズールー族のシャーマン、クレド・ムトワとの驚くべき2週間を過ごしたのち、イングランドに帰ってきたところです。そして伝統的なアフリカの知識を知り尽くした世界的達人との密接な仕事から生じたとても多くの洞察を体験しました。
私は何年も前からずっと、かつてその同じ基礎知識と理解をたくみに操って大きく進歩した地球規模の社会があったという事実について書いています。それは、想像以上の地質学的大変動と破滅的な洪水によって終焉がもたらされました。そしてそのどちらも、すべての原住民が聖書の「ノアの大洪水」同様の彼らの伝説を持っている理由です。
その地球規模の社会は分断され、元の知識は世界各地の様々な方向に散らばり、際限なく異なった方法で表現されました。迷信と見当違いの儀式と神話はこれらの分断された社会によって加えられて、そしてそれらはもとの同じ原作を伝えるために異なった象徴と名前を使用しました。
これは限られた範囲内に起きたので、ほとんどの人々には、洪水後に孤立したこれらの社会に現れた様々な「文化」と「宗教」は、まったく関係ないように思われました。公式の歴史では関係無いと主張します。そして、かくのごとくなぜこれらの世界中の「孤立した」人々が、バベルの塔の時代において一つの言語が多言語に分かれたことや大洪水のような同じ基本的物語を語るのは何故なのかを、そして転換されたり付け足されたり累積したものを片付けると彼らが同じ「神々」を崇めて同一の歴史を伝えているのは何故なのかと言うことを説明できません。
この2週間毎日のようにクレド・ムトワと語って、地球規模の社会は事実であったことを明確にしました。そして、ついにこの夏までに尨大な量の隠された資料が組み立てられるなら、彼の情報が誰でも利用できるように作成されることを私は願います。
言語についてのクレドの知識は、アフリカだけでなく世界中でも、それだけでかつて地球規模の社会の破壊があったという確証です。彼は今85歳でありながら、アフリカ中や地球上の至る所に旅行し、原住民と伝統的治療家と知識の語り部たちに会っています。
ムトワは南アフリカのズールー族でありますが、アリゾナでホピ族を訪ねたとき、「ほぼ5つの言葉の内3つ」を理解して、言われていることに難なくついていけたことを私に語りました。彼がオーストラリアでアボリジニと他の古来の民族に会った時も同様でした。
クレドは「異なった」言語の言葉を分析して、丹念につづり、それらを細かく調べました。長椅子の上に象がいるだけではなく、全身血まみれの群衆がそこに座っています[訳注:アイクの一種の例え話]。それらは一つの言語と一つの社会でありました。そして、私たちが世界的「多様性」と呼ぶものは、実際は異なる外観をもつ同一の知識と歴史なのです。
南アフリカで“骨を投げる”と言うことは、この素晴らしい例です。クレドと彼の妻ヴァージニア、すべての「サンゴマ」あるいはシャーマンのような人々は、問いかけへの答えを見つけるため、あるいは「未来」を読むために「骨を投げます」。彼らは18か月前に私のために骨を投げてくれて、それは非常に正確でした。そしてまた、今回2度も私のために骨を投げてくれました。
それらは異なるシンボルが彫刻された動物の骨のセットです。まず骨の籠の上に手を置いて、エネルギーと接続します。それからそれらは床の向こうに放り投げられます。骨が着地した場所とお互いの位置関係を、クレド・ムトワのような熟練した「読み手」は質問者の問いかけに答えるか、あるいはありそうな「未来」を予言するでしょう。
最初、私のためにそれが行われた時、それがルーン文字の刻まれた石あるいはタロットカードを読み取ることのアフリカ版であることは明らかでした。それは、その伝統が現れた時、入手可能な道具に沿って異なった手法で表現された同一の知識でした。
公式の宣伝を信じるようにプログラムされた人々には、そのようなことは何を言っているかわからない原始的「呪術医」や「狂人」の戯言でしかありません。個人的には、主流と同じくらい原始的「科学」とか、主流と同じくらい狂った「社会」にめったに出くわたことはありませんでした。しかし、私だけかもしれない。実際、我々の石器時代の「科学」が提供あるいは説明することよりも、これらの占いの方法の原理の方がはるかに進歩しているのです。
人々がすべての「物理的」レベルだけを見るなら、その計画は失敗します。―我々の肉眼で見えるのは、わずかな周波数帯域のみです。すべての真実の本質はエネルギーだと理解するときだけ、世界にピントが合います。
その骨を見る時、実際にはエネルギー場を見ていて、骨が運ぶシンボルもまたエネルギーです。そのシンボルは思考の表現であり、そしてそのシンボルが接触し得るエネルギーの振動帯や周波数を刻印します。このように、エネルギー場を刻印されたシンボルが骨のエネルギーとして表現されます。
以前一度、古代の男根の象徴である巨大なオベリスクの内部を上って行った時、これの強力な経験をしました。一分かそこらの間、想像にふけることをやめて何も思考しない状態になったら始まりました。地獄へ突き落されると言うのでしょうか。私がいた場所が象徴的な男根の内部であったと思い出すまで、「一体全体、何なんだ?」というのが私の即座の考えでした。男根の象徴がその周波数帯や「マトリックス」のエネルギーを振動させました。これが、イルミナティの血脈たちが私たちの身の回りに彼らの象徴主義的なものを配置する手掛かりとなる理由なのです。彼らは、私たちが住む場所のエネルギー場を操作しているのです。
骨には思想やコンセプト(概念)のような異なった表現のシンボルが彫刻されます。骨が象徴するそのエネルギー場において骨は刻印されて、それからそのマトリックス周波数に振動します。あなたが骨に手を置くとき、精神、感情という自己潜在意識の精力的表現である自身のエネルギー場を入力しているのです。自己の潜在意識のより深いところでは、控え目に言っても、意識以上に気づいています。そして見ることのできない意識の水準は計画された「未来」を知っています。
すべては骨に刻印され、そして骨がまだ籠の中にある間、私が振動的な磁力( Vibrational magnetism)と呼ぶものを通じて、骨は強力な関係を作ります。異なったシンボルの振動場は、それが意味する人間のエネルギー・マトリックスの部分と連結することによって振動的「織物」を形成します。
クレドとヴァージニアが私のために放った骨の一つは、車の彫刻が施されており、そして私のエネルギー場におけるすべてのものは、車に関係することならなんでもその特定の骨と結びつきます。なぜならそれらは同一の波長に作用するからです。
だから、骨が放られる前に、骨が落ちる床の上でのお互いの関係の場所は、人間と骨との間で作られた強力な関係によって既に決定されているのです。異なる「引力」の周波数に調律された磁石を放り投げる原理と同じです。あるものは磁力的にお互いに引かれ、そしていくつかは反発して、離れ離れに押されるでしょう。
これが、主流「科学」が理解しない事実の深遠な理解ですが、知識の本当の使者たちは理解します。
その同じ原理はタロットあるいはルーン文字の刻まれた石、そして他の占いの形態に当てはまります。あなたがタロットを読み取って、外見上無作為に特定の札を選ぶとき、同じエネルギーの接続があなたのエネルギー場と象徴的なカードのエネルギー場との間に起こります。そういうわけで、たくさんある中でこの一つのカードを選ぶ理由がこれなのです。それはすべて精力的水準で起こることで、そしてその接続は即座に行われ思考を必要としないのです。実に、思考はその過程の邪魔になっているのです。
私はクレドに、床に寝そべって骨を読み取る時、何が彼に起きているのかを尋ねました。読み取り能力の一部分は象徴の互いの関係を分析することによりますが、これにも他の段階があります。彼が骨を読み取る時、彼は「過去と現在と未来のすべてが出会い、そのすべては一つ」である「沈黙の領域」あるいは「沈黙の洞穴」に入っていく、と彼は言いました。私はずっとそこにいたので彼の意味する事が正確にわかります。「骨と話すことができる」とクレドが言うのは、この「場所」である、この「一つにして全体(ワンネス)」の統一された状態においてなのです。
これはどのように可能なのでしょうか?なぜなら、すべてはエネルギーであり、そしてすべてのエネルギーは意識だからです。すべてのものは一つである統一状態に入るならば、骨とシンボルの持つ意識、あるいは動植物の持つ意識と意思疎通ができるのです。
再び問題なのは、人々がすべての「物理的な」知覚にとらわれることなのです。なぜなら、少なからず、イルミナティが操作する社会は「教育」システム、「科学」そしてメディアを通じて人々が囚われるよう助長するものだからです。
動物あるいは植物に話しかけると言う人々のことについて耳にするなら、即座の反応は笑いであり嘲りです。両方の反応は無知の結果です。愚鈍はいつも天才の中の滑稽さを捜します。
動物に話しかけることは、牛やワニが人間の言語を理解しなければならないことを意味する、と彼らは考えます。そしてそのように考える人々は他の人を笑います。何故でしょう??言語は思考の唯一の物理的表現であり、そのような意思疎通が起きるのはテレパシーである思考によってなのです。
テレパシーは言語を持ちません、言い換えるならば、他の方法はすべて言語なのです。思考フィールドは言語を理解する脳を通じて処理されます。英国人とイタリア人との意思疎通は英語とイタリア語に解読されるでしょう。だから動植物も一緒なのです。テレパシーは言葉の言語ではなく、洞察の「言語」なのです。
クレドの妻、ヴァージニアは、エイズとその他の問題ある患者を治療するために用いる伝統的医薬のために彼女が育てる植物に毎日語りかけます。彼女は患者について彼らを助けるよう植物に語りかけます。患者が必要とする準備のためだけの量の植物を採取しますが、結果として植物は枯れないのです。植物は、このテレパシーの交流を通して治療の過程に関わるのです。そして、それらが自覚しているものとして敬意を表します。
植物の一片が採取されると、彼女は感謝をこめて、お金をその植物の隣に置くでしょう。今、私には懐疑論者が「その植物はお金で何をするのだろう、ビールを買うのか?」と言うのが聞こえます。もちろん、それは象徴的ですが、実際それ以上のものなのです。それは、私がここで議論してきた原理と一致した、エネルギーの交換なのです。その硬貨はエネルギーの物理的水準であり、植物がそばに置かれたお金から吸収できるのは、結果として尊敬と感謝のエネルギーなのです。
これらすべてのこと、そしてそれ以上のことは、将来の著作と来年の新しいクレドのDVDの中で私が詳述するでしょう。それは、しばしば大きな危険とその重大さからわずかな人々によって語り継がれてきた知識です。しかし、これらは総括して社会から失われました。
当然、このための理由があります。その支配が続き、拡大するなら、イルミナティ一族と闇の他の次元にいる支配者たちは、人類を現在進行中の無知のまま継続しなければならないのです。人々に焦点を当てて、すべてにおいて、自分が誰で本当は何であるか気付かないように、物理的なものだけに知覚するよう維持しなければなりません。
どのように「一つにして全体」であることを知る人々を分割統治するのでしょうか?どのように彼らをだまして戦争、そして少数が多くを支配すること許す日常的な対立と「競争」の中に引きずり込むのでしょうか?私たちが心を開いて見さえすれば、死は存在せず永遠の生命と愛があるだけだと人々が知るならば、どのように人々を恐怖の状態のままにできるでしょうか?
その知識が知られたら、この世界の何もかもが不可能になるでしょう。そして、知識の提唱者たちに悪魔の汚名を着せたり、殺したり、あるいは嘲笑したりしながら、なぜイルミナティの血脈たちは組織的に何千年もその知識を抑圧するのかという理由がこれなのです。
しかし、永遠の「時間の尺度(タイムスケール)」において、それほど長い間、ずっと真実を抑えることが出来ません。それは水の中の球のようなものです。しばらくの間、水面から球を押さえつけ隠したりできますが、必然的に手間取り強制的な抑圧の力がなくなるならいつでも、その球は跳ね返ることを待っていて常に待機しているでしょう。
ああ、イルミナティの無知な愚か者と階上の支配者たち。ちょっとお知らせがあります。その時は「今」なのです。
【翻訳委員会◇小動物】
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