このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。
デーヴィッド・アイク、ニューズレター 2008年12月7日号
問題なのは“肌の色”ではない
…“意識”が問題なのだ
みなさん、こんにちは
私は南アフリカ共和国でこれを書いている。この10年間何度もここに来ている。14年前のネルソン・マンデラの大統領当選に続いた大いなる希望と夢は、ほとんどの人にとって久しい過去の話である。そう言っていい。彼の「虹の国家」という構想は、かつて存在したとしても、もはや影も形もない。
この国とこの大陸には深刻な諸問題がある。その非はすべて植民地支配と多国籍企業による搾取にあるというわけではない。多くの問題はそうだ。しかし、すべてと言うには程遠い。
私は長年、詳細にアフリカがどのようにイルミナティに陵辱されてきたか書いてきた。それはヨーロッパ列強の占領から始まり、近年ではアメリカや中国などによるものだ。しかしアフリカ全土の黒人指導者の驚くべき腐敗と無能さを考慮しなければ全体像は見えてこない。彼らは自分が人民の代表であると主張するが、その民を言い知れぬ惨めさへと追いやってきたのだ。
これらの「指導者たち」は、しばしば自選のリーダーたちであり、国家に奉仕する事が目的ではない。権力を冷酷に追求する最終的な動機はまさにこれなのだ。海外援助を含むお金の流れを操り、極貧の民を犠牲にして私腹を肥やすのである。欧米の企業と政府の自国民への搾取を許して得る「報酬」を手にする事、権力欲と支配欲を満たす事、そして部族の、しばしば何世紀にも遡る怨恨をはらす事が動機なのである。
(内務省『偽造IDですか?年金詐欺課の向こうに賄賂課があります。そこの3つ目のドアが偽造パスポート課で、すぐわかりますよ』『こりゃ思ったよりひどいよ!』)
アフリカに来た事のない人、あるいはオプラ・ウィンフリーのように写真撮影のために来るような人にとってのアフリカのイメージは、植民地支配のもたらした問題や、天候、お金や食料などの資源の不足と格闘する抑圧された人々というものだ。哀れなアフリカ、なんと悲惨な。これが一般的なイメージだろう。
これにも一定の真実はあるが、全体像からは全くかけ離れている。“とてつもなく”。
そもそもアフリカは資源が不足などしていない。資源の豊かな大陸だ。全大陸を潤しすべてのアフリカ人にかなりいい生活、あるいは素晴らしい生活さえさせる事ができるほどなのだ。
宗主国の背後のイルミナティが植民地政府による支配から、企業や銀行、深く深く腐敗したアフリカの「指導者たち」とその腐臭のする官僚による支配に単に変えたからそうなったという訳ではない。実際には「指導者たち」は、より腐敗すれば、より良いのである。富と「地位」を引き換えに、人民にどんなおぞましい行為や不正を働く事も許すだろうからだ。
国境の向こう側の国ジンバブエの真に邪悪な狂人、大統領ロバート・ムガベは明白で極端な例だ。ムガベはアフリカの穀倉地帯を手に入れ、それを不毛の地に変えてしまった。そこはかつてローデシアと呼ばれ、ジンバブエと呼ばれるようになった最初の頃も豊かな土地だったのだ。この不毛の地ではその土地の人々、そう“黒人”が今では文字通り飢えており、コレラなどの病気で死んでゆく。そして自分たちの糞尿にまみれて暮らしているのだ。(訳注:ローデシアは白人政権の国だった)
(『大統領として今日はまず我が国の“人権の日”を祝いたいと思います。その後“ジンバブエ”の人権侵害ついての議論は“阻止”させていただきます。』)
ムガベの暴力と恐怖とファシズムで人民が地獄に追いやられてきた一方で、彼自身は途方もない金持ちになったのである。それは苦しみに喘ぐ人民を犠牲にしたものだ。そしてサハラ砂漠以南のアフリカ諸国はそれに対しほとんど何もしないのである。今日ジンバブエのインフレ率は2億3100万%に達しているが、ムガベは特権生活を続け海外に莫大な富を蓄えている。
彼はイルミナティによってその権力の座に置かれた。とりわけヘンリー・キッシンジャーとその親友のキャリントン卿の手引きによるものだ。キャリントン卿は長年ビルダーバーグ会議議長であった。また英国外相もつとめたが在任中の1980年にムガベは独裁者、いや失礼「最初の黒人大統領」になっている。
ムガベを押し付けるためキャンペーンとして以前の少数白人支配の政府は人種差別主義者であると非難されていた、しかし人種差別はどちらの政権でも横行したのだ。いわゆる左翼のリベラルの人種差別についての認識の甘さは、まさに子供じみている。彼らのルールは単純で“白人しか人種差別主義者になりえない”、というものだ。えーその通りですね。
だからユダヤ人過激派が自分たちは「神に選ばれし者」で他の“人種”すべてを優越すると主張できる。こう言うことは是認され受け入れられるのだ。しかしもし白人の誰かが自分の人種について“同じ事を”言ったら「白人至上主義者」といたるところで非難されるのだ。何が違うのだろう?“何も違わない”。理解と普及のされ方が違うだけなのだ。
ユダヤ人至上主義者であろうと白人至上主義者であろうと、黒人、アジア人、空色赤ピンク色、何人至上主義者であろうと、私には同じ事だ…“くだらない”。みんな大人になれ。そう言いたい。
しかし何故白人が世界で唯一の人種差別主義者なのだろうか?例えば、カナダ「人権」委員会は信じがたい程人種差別主義組織であるが、その馬鹿げたほど極端な「人種差別」法で非“白人”を起訴した事がないのだろうか?
カナダのイスラム過激派は好き勝手なことを言い、その委員会は逆に見える。彼らは両耳を塞いでいる。しかしもしあなたが白人なら一言一句に注意しなければならない。さもないと…
(人種差別に一致団結して反対しよう)そう、すべての人種差別に.
人種差別は人種差別であり「白人」と呼ばれる一つの色合いにだけ出現するのではない。このアフリカ大陸は信じ難いほど人種差別のはびこる場所である。まさに部族同士が殺し合い、政治的な闘争を繰り広げる。ここでは政治的「指導者」がほとんど人民の代表でないが、その理由の一つはアフリカが依然として極端な部族社会であるという事だ。この上なく“人種差別主義者”なのである。
関わっている部族がすべて黒人のものだからといって、少しは人種差別主義者でなくなるわけではない。遺伝的履歴(訳注:家系、血統など、出身)という同じ気のふれた基準を根拠にしているのである。
ヨーロッパ人が来るまでアフリカと北アメリカはのどかな場所であったというイメージがある。多少は(ほんの少しだけ)正しいのかもしれないが、都合よく忘れ去られたのは、アフリカ人やネイティブ・アメリカンはかつて部族が違うというだけの理由で互いを虐殺していたということだ。
事実、部族間の敵愾心と暴力があったからこそ、ヨーロッパ列強が容易に入り込み支配する事ができたのだ。そして部族間の戦争と政治的紛争は今日でも続いている。
かつてジンバブエの黒人がムガベの圧制から逃れ越境して南アフリカに来たとき、多くの人々が襲撃を受け、虐待され殺されたが、それは欧米のリベラルが考える「自由の国」南アフリカの「黒人の兄弟」によるものだったのだ。
しかし「黒人の兄弟」などという考え方は部族意識の黒人の人種差別主義者はしないのである。そうした人種差別主義者は今私がいるこの場所の道のすぐ向いにいる。ジンバブエの難民は異なる部族出身であり、ズールー族やその他の過激派が彼らを敵として扱ったのだ。そして今もそれが続いている。
(黒人のジンバブエ難民が南アフリカで「黒人の兄弟」によって火ダルマにされる。)
友人の偉大なズールー族シャーマン、クレド・ムトワと電話でこの話をしたのを思い出す。彼はこうした狂気に絶望していた。彼は戦闘員たちに、標的は実は元々はズールー族だと理解させようとした。ズールー族は昔、現在ジンバブエと呼ばれる場所に北進し移住したのであると。
「えっ本当か?おい、お前ら、あいつらはズールー族だ。撃つのをやめろ!」
なんと痛ましい話だろう。白人だけが人種差別主義者でなりうるという世界中に蔓延する一方的な「人種差別」にはうんざりする。“すべて”の人の中に人種差別がありうるし、“すべて”の人の中に人種差別がない事もありえるのである。
違いを生むのは“肌の色”ではない。“意識”なのだ。
意識的な人々は身体をありのまま見る、それはお互いを判断する際に本質的なものではない。“無意識的”な人々は身体という遺伝的履歴をともかくも重要だとみなすのである。白人であれ黒人であれユダヤ人であれ、“誰であれ”“無意識的”な人であれば同じ事なのだ。
他人を人格より人種や肌の色によって理解する人は、私が「身体意識」または「マインド」と呼んでいるものにひどく囚われているのである。これはありのままの現実を五感に通してろ過してしまい、身体自体や他人を見る方法として身体に執着させるようになるのだ。
したがって“無意識的”な人々にとって身体はアイデンティティと自己イメージを得る主要な手段なのである。一方意識的な人々にとって身体は、お互いをどう見るかという意味では取るに足りないものなのである。
これは重要なポイントだ。何故なら我々はほとんどの人が“無意識的”である世界に住んでおり、それがこの星のこの有り様の原因だからだ。この状態は一言に要約できる。つまり「馬鹿」なのだ。
「馬鹿の大集団の力を甘く見るな」
世界中の社会があまりに馬鹿であるのも仕方がない。人々は圧倒的に“無意識的”であり、意識的な人々のみが打ち勝つ事ができる、身体/マインドに刷り込まれたプログラムのなすがままになっている。「人種」や「肌の色」や「宗教」によらず人々が予測可能であるのはこのためだ。
南アフリカのアパルトヘイト体制の時代、白人の支配階級があり、多数を占める黒人(及び反アパルトヘイトの白人)を専制支配し虐げていた。アパルトヘイトが終わり南アフリカが「自由」になった14年後の今日では、黒人の支配階級が多数の黒人と少数の白人を専制支配している。
権力者の肌の色は変わったが、“意識”は変わらない。南アフリカは少数派の白人の独裁権力とANC(アフリカ民族会議:The African National Congress)の独裁権力を交換したのである。事実ANCはあまりに腐敗したためメンバーが集団離脱し新勢力のCOPE(国民会議:Congress of the People)を作ったほどだ。独裁権力を維持しようとするANCの権力と富を貪る輩たちは強大なので、次の選挙では無法で広範な暴力沙汰が起きる可能性もある。
南アフリカはネルソン・マンデラの笑顔に象徴される「自由な民主主義国家」として称えられている。しかし今日の南アフリカはアパルトヘイト時代と同じく民主主義ではない。ANC一党しか政権となる可能性がないからだ。投票が何の役に立つというのだろう?
この国の大統領になるにはANCのリーダーの座を冷酷に手に入れる事がすべてだ。国民などどうでもいいし、国民の「指導者」選びに国民は不在なのだ。
こうして前大統領タボ・ムベキのようなリーダーたちが出てくる事になる。彼らは、手段を選ばず政治的目的を達しようとする無節操な輩や悪党や世界中の同類が動いている同じプログラムでそうなるのである。白人、肌の色は何であれ同じ事だ。次に登場を待っているのはジェイコブ・ ズマというもう一人の同類だ。この男はセックスした後シャワーを浴びるとエイズにならないと言ったり、南アフリカの人民に「神を恐れるよう教え」なければならないなどと言っている。
ムベキとズマ:「兄弟、もう充分国民を搾取しただろ。今度は俺の番だ。」
しかしこのような輩の腐敗や不正が白人の国民によって暴かれると、たとえ彼らが自らを犠牲にしてアパルトヘイトに反対したという非の打ちどころがない経歴の持ち主であっても、白人というだけで「人種差別主義者」として糾弾されるのだ。こうした事は頻繁に悪党といかさま師の最後の避難所にされているのである。
手段を選ばず政治的目的を達しようとする無節操さ、権力志向、異常な支配欲は“肌の色”とは関係ない。これはコンピュータ・プログラムのようなものなのである。ここには“意識”が欠けているのである。よって白人の上部階層(アパルトヘイト時代、黒人同様白人を支配)は黒人の上部階層(アパルトヘイト後は白人同様黒人を支配)になったが、ほとんど何も変わらないのである。変わったのはその見かけと幻想を売る世界のメディアの伝え方だけなのである。
白人による多数派黒人の専制支配=人種差別主義的専制政治。黒人による多数派黒人の専制支配=自由な民主主義。
これが南アフリカじゅうの夥しい数の黒人が悲惨な貧困のうちに生きながら、一方で黒人支配層が富と特権に囲まれ暮らしているひとつの理由である。
アパルトヘイトの時代、ヨハネスブルグ近郊の黒人居住区のソウェトという酷いスラムが、人種差別という不正の象徴として毎晩ニュースに登場したようだ。しかし2年前そこを訪れたが、そこにはまだスラムとトタンの波板の家があり、強烈に気分が悪くなった。国中がこのありさまなのだ。
ソウェトのスラム 2008年
ケープタウン近郊のスラム 2008年
夥しい数の黒人スラム居住者がANC独裁権力によって強制移転させられたが、これはANCが勝てると確信できない選挙区で票数を増やすためだった。こういった事例が複数あり、私自身90年代の終わりにその一つを目撃していている。
肌の色が問題なのではない、いや違うのだ。“意識”の問題なのだ。意識がなければ、遺伝的に何色であれマインドのプログラムが繰り返されるだけなのだ。
マンデラが「虹の国家」をつくろうと権力の座についてから約15年になる「自由の国」南アフリカでは今日、現実は次のようになっている。
・エイズで荒廃している南アフリカでは12分に1人の割合で女性が強姦されている(政府の不正な“統計”でなく民間の数字では、はるかに高い数字になるが)。この国の一流の犯罪学者たちで南アフリカの犯罪統計を常に取り巻く「秘密主義のヴェール」を「民主主義を脅かすもの」として非難してきた人々もいる。だが“どの”民主主義の話なのだろう?
・当局の発表では一日に50人殺害されているが、 医学研究評議会(MRC)の数字によれば89人まで膨れ上がる。ネドコール・プロジェクトの報告書は「南アフリカ共和国とアフリカ南部は地球上でもっとも殺人の多い社会で、調査は現状に追いついていないが確かな報告書から推定してそうだといえる。」と結論づけている。
・世界経済フォーラムの報告書によれば南アフリカの組織犯罪数はコロンビアに次いで第2位で、警察によれば資金が非常に潤沢で豪勢に武装した犯罪組織が約1,200存在しアフリカ国内外で活動している。また南アフリカで活動するこの1,200の犯罪組織のリーダーは一人として逮捕されていないというレポートもある。
他の統計によれば実はすべての犯罪区分において調査報告書が途方もなく不足している。警察がますます訓練不足となり何もできないからだ。南アフリカの新聞「タイムズ」によれば…
「427,319件という膨大な数の未解決事件があり、大半はDNA、弾道検査や血液テストなどの重要な証拠、他の科学捜査の物証の収集作業がなされないため容疑者の犯罪を立証できないからなのだ。」
「この数字には183,988件の殺人、殺人未遂、強姦、暴行事件が含まれる。さらに780,000件については起訴するために必要な科学捜査に1年もかかり、起訴は延期され、リストから除外される事すらある。」
昨年南アフリカの有名なレゲエスター、ラッキー・デューベが射殺されるという事件があった。この国で毎年信じられない数起きているカージャックに遭ったのだ。ラッキー・デューベは黒人で犯人も黒人だった。確かに少数派である白人は広く絶え間なく犯罪と暴力の標的にされているが、多くの殺人事件は“黒人”が“黒人”を殺すものなのである。
問題なのは“肌の色”ではない。“意識”が問題なのだ。
ラッキー・デューベ:南アフリカの黒人間の暴力の犠牲となった有名人
アフリカ大陸中に部族間紛争によって、終わりのないコンゴ内戦やスーダン北部の邪悪なダーファー(ダルフール)紛争と同様、驚くべき規模で黒人が黒人を虐殺している。我々は子供が兵士として利用され殺し合いを強要されるのを見た。殺してバラバラにするぞと脅し自分の意志を人々に無理強いする、狂った人々による仕業である。
1994年にルワンダで100万人もの人々が殺害され、その前年にはブルンジでは何十万人が殺されたのは、アフリカの部族間の大量虐殺である。ブルンジは世界の最貧国10位内に位置しているが、だから何だというのだろう?部族間の大量虐殺は存在する。人種差別は白人だけの病気だなどと私に言わないで欲しい。
アフリカではそう、いい事も起きている。あらゆる人種の沢山の善良な人々がそれに努めている。しかし今は悪い面を知らしめなければならない。そうしなければ刻々とこの大陸が破壊されてゆくのだ。
(今度大統領のお召し物について喋る時は“敬意”を払え)
無意識的な黒人支配階級は貪欲と腐敗という自分達の政策をアフリカ中で実施している。これは奴隷貿易を影で操った世界の支配者であるイルミナティの命令によるものがほとんどだ。私は奴隷制度を糾弾する声を耳にする、これはもっともだ。しかしたびたび黒人支配層からこのような非難が発せられるが、その彼らは奴隷貿易を”営んだ”イルミナティに隷属する事で富と「地位」と称するものを手に入れているのである。
忘れないように言っておくが、アフリカから船積みされた奴隷たちの多くが、奴隷商人のために働く、他の村や部族出身の黒人によってかり集められたのである。今も昔も事実は、繰り返し語られる白人と黒人の物語ではない。大人になってこの事実に直面する時だ。
同じような黒人支配階級を我々はアメリカで目にする。オプラ・ウィンフリー、ジェシー・ジャクソン、バラク・オバマと妻のミッシェルのような人物に代表される。こうした人々は人種差別や人種に起因する機会の欠如(訳注:教育や雇用などの機会)について果てしなく語り続けるが、一方でオプラ・ウィンフリーは億万長者であり、バラク・オバマは大統領に選出され、彼の妻は病院の重役で年俸は30万ドルを優に超えている。そして夫妻は160万ドルの大邸宅に住み、ワインセラーには無数のワインが並んでいるのである。すごい!人種差別による機会の欠如のなんとひどい事例だろう。
オバマ夫妻とオプラ・ウィンフリー:肌の色による酷い貧困と抑圧と機会の欠如の例
人種差別と奴隷制度について不平を言い続けるアメリカの黒人支配階級はもはや自国やアフリカの黒人の貧困者となんのつながりもない。それはジョン・マケインやジョージ・ブッシュと同じだ。実際オバマはスラムの賃貸物件の家主の友人たちや服役中のトニー・リズコのような政治献金屋と役所との公共事業契約を支援したという忌まわしい過去がある。リズコはシカゴの納税者から何百万ドルもだまし取り、オバマの助けで全く信じがたいことに非人道的なやり方でほとんどが黒人の賃借人たちを搾取したのだ。
ミッシェル・オバマはかなり裕福な家庭で育ったのに「黒人労働者階級」出身という明らかな嘘をついている。真面目な話、実際私などよりよほど恵まれていた。でもだから何だろう?みんな人生に前向きに取り組み、自分だけに見える貧困を嘆いたり創作したりはしないのだ。事実、ウェブスター・G・タープレイの優れた著作「バラク・オバマ:非公式自伝」(Barack H. Obama, The Unauthorised Biography)によれば、ミッシェル・オバマの超高給の病院重役という役割の一つは次のようなものだという(夫が上院議員に選出されると給料が3倍になったという)。
「ミッシェルの仕事は黒人スラム街に隣接しているシカゴ大学医療センターの警備員か門番のようなものだ。責任者が直面する問題は、病気で瀕死状態の貧しい黒人が救急医療室に来診し必死になってまともな処置を受けようとすることで、その数があまりに多い事だった。」
「ミッシェルの仕事はこうした貧困に喘ぐ黒人たちをスラム街に押し返し、充分な設備のない医院や薄汚い低水準の診療所の待合室で死を迎えるようにする事だ。彼女のこの仕事への適格性は黒人である事、冷酷である事で、彼女が偽善的に人前でずっと見せびらかしてきた人種的結束をおくびにも出さない事だった。」
オバマ夫妻は黒人を導く光の存在では全くないのである。このもうすぐ大統領になる人物は、この世の仕組みを支配する白人組織に仕える黒人支配階級で昇進するために、黒人を利用し搾取しているのである。私は確信している。ラップ歌手のジェイ・ジー(Jay-Z)やその妻のビヨンセ(シンガーソングライター)のような人々、また同じような人々も、白人メディアに派手な光り物を見せびらかしている一方で、アメリカの都市のスラムの黒人の兄弟たちと姉妹たちの窮状など全く考えていない。
クレド・ムトワはアメリカの黒人支配階級を「黒人の体に宿る白人」と呼んでいる。そして彼らは自ら好んで引用するその奴隷貿易のまさに背後にあったイルミナティの同じシステムとネットワークに仕え、身売りするのである。
我々の「アフリカの兄弟と姉妹」を搾取するこのシステムに我々は魂を売っても構わない。我々は黒人で搾取され、抑圧されもう目の前には1千万ドルしか残っていない、と。
問題なのは”肌の色”ではない。”意識”が問題なのだ。
白人の貧困層と、黒人の貧困層、ヒスパニックの貧困層では何が違うのだろうか?肌の色だけだ。他には“何もない”。彼らは皆、貧しく困窮している。これが彼らを結びつけるものだ。
白人の金持ちの特権階級と黒人の金持ちの特権階級の違いは何だろうか?肌の色だけだ。他には“何もない”。彼らは皆、金持ちで特権を与えられている。これが彼らを結びつけるものだ。
(人種差別がアメリカを分裂させる)それはつまりこういう事
人種差別は支配層が大衆を分断し支配するもう一つの道具である。黒人の貧困について語る代りに、我々は“貧困“について語るべきだ。”マイノリティ“の機会についてではなく、肌の色や宗教を問わず、万人の機会について語るべきだ。それは個人の自主性や能力に基づくべきで、どんな色合いであれ肌の色にではない。
そう人種差別主義者は存在する。白人の人種差別主義者、黒人、ユダヤ人、アラブ人、中国人の人種差別主義者などなど。しかし政治目的と金儲けのために、この問題の本当の度合いはひどく誇張されている。
ああ、今やアメリカの大統領は黒人だというのに、まだアメリカは総じて「人種差別主義者」だと非難されている?
黒人の支配階級(富だけでなく意識状態まで)や白人支配階級(富だけでなく意識状態まで)に属さない者は”意識的”になる事で一致団結し、我々が皆“一つ”である事を理解する必要がある。身体意識という見かけ上の分離は隷属したマインドの幻想なのである。
支配権力は人種差別反対を主張しながら人種を強調する事で我々を分断しようと必死になっている。彼らは大統領のオバマを使ってさらにこれを推し進めようとするだろう。オバマは統一のためではなく彼の“本当の”脳ミソのために分裂を目論み、アフリカで中国との対立を目指すのだ。それはズビグニュー・ブレジンスキーの事である。私が最後に彼を見かけた時、ブレジンスキーは黒人ではなかったようだ。
ペテンの靄を透して見ることができるほど意識的な人々は一緒になって人間の状態に付けられる人種というラベルを否定しなければならない。我々は“すべての”人の自由と機会均等と公平と正義を求めていくべきだ。あれこれの人種集団のためではなく。
支配者は常套手段を使っている。 “自国民”と言いながらその人々から搾取をする、やる気満々の使用人であるオバマのような詐欺師を使って“敵味方”をつくり出し互いに敵対させるのだ。
我々には選択肢がある。肌の色や遺伝的背景が何であれだ。分断され世界支配者の手に落ちる事もできるし、自分は誰か?についてのレッテルや身体意識からくる思考を捨て一つになって、オバマが売り歩いた偽の「変化」ではない本当の変化を起こす事もできるのだ。
そのように本当の変化を起こすとしたら、いつもこの事を覚えている必要がある。「問題なのは“肌の色”ではない。“意識”が問題なのだ。」
【翻訳委員会:D】
このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。
≪参考≫ Latest News HeadinesTuesday, 13 January 2009 The Luvees Line Up To Kiss The Ass Of The Smiling Viper笑っている腹黒いロバを祝福するために結束する。
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