デーヴィッド・アイクニューズレター2009年1月11日号予告
The David Icke Newsletter, January 11th 2009
COMING TOGETHER …
… IN CONSCIOUSNESS
IT IS TIME TO SAY – ENOUGH
一緒にやろう輪になって……
……意識の中でもう十分だ、と言うべき時だ
◆◇アイクニューズレター1月11月号に言及されている「オマール・ゴールドマンの手記」の日本語訳を公開します。
≪お知らせ≫
このニューズレターの日本語版は、出来るだけ早い機会に、一月十日再建された、第二期アイク日本版ウエブサイトdavidicke.jp上に公開したい。
なお、二〇〇八年十二月二十五、二十六日を以て、ペンネーム「ひつじ」と名乗っているアイク日本版の翻訳担当者は、当ウエブサイトに一切の協力を打ち切ると通告して来たので、この「ひつじ」と言う人物は第二期アイク日本版ウエブサイトとは完全に無縁であることをここに明言して置く。
なお、十二月二十六日付けで、この「ひつじ」なる人物は自分の翻訳した全ての記事をアイク日本版から、三日以内に削除することを、要求してきた、さもなくば法的手段にでる、と通告して来た。
この要求については、我々に、考えもあるけれども、全く新しい第二期アイク日本版ウエブサイトの再建に全力を尽くすことを最優先させることにして、これを削除することにした。
ところが我々の関知しない技術的障害があり、一月七日、新しいアイク日本版サイトを再建し、一月十日、「ひつじ」の記事を削除した。
なお、若干の不備が残っているけれども、それは逐次、片付けて行く。
一月十日までに我々は三名から成る新しいアイクのニューズレター翻訳チームとコンピューター運営チームを結成したことを、有志の皆さんに報告する。
二〇〇九年一月四日付けのニューズレターは、目下、翻訳を準備中であり、一月十一日号はこれから準備する。
ここでは、このニューズレターの要点を有志の皆さんに紹介する。
(1)若いイスラエルのすばらしいレディ。
オマール・ゴールドマン Omer Goldman 彼女の手紙を、アイクは紹介している。
(2)このレディの父親は、モサドのデピューティ・ヘッド(副長官)である。
(3)彼女は、今年(二〇〇八年)の初め頃、パレスチナでの平和デモに行った。
(4)このデモに対して、イスラエルの軍隊が、我々にそして彼女に発砲した。
(5)私は衝撃を受けた。
(6)そして私は真実を見た。
(7)私は現実を見た。
…………….
以下省略
かくして、彼女は九月二十三日に、イスラエル政府によって刑務所に三十五日間、監禁された………..と言うわけである。
ちなみに彼女は、イスラエルの19歳の女性である。彼女の多くの友人たちもまた、同じようにシオニストイスラエル官憲によって投獄されている、と彼女は告げている。
現瞬間に於ける世界情勢の焦点はパレスチナ人民の戦いとそしてそれとともに決起するオマール・ゴールドマンのようなイスラエルの若者たちの戦いと、まさにそこに存在する。
(了)
【注】
我々は、アイクとその系列の膨大な、そして緊急を要する英文のニュース記事をアイク日本版ウエブサイトに公開するために
〇多数のボランティアの翻訳者を必要としている。
〇有志の協力を要請する。
〇コンピューター関係のボランティアも同じに。
太田龍の「時事寸評」より抜粋。
平成二十一年(二〇〇九年)一月十一日(日)
(第二千六百六十三回)
アイクニューズレター1月11月号に言及されている「オマール・ゴールドマンの手記」の日本語訳を公開します。アイク日本語訳翻訳ボランティアを募集したところ、Dさんの協力が得られましたので早速ここに公開いたします。
http://sabbah.biz/mt/archives/2008/12/17/israeli-conscientious-objectors-shministim/
Israeli Conscientious Objectors, Shministim
イスラエルの良心的兵役拒否者 – シュミニスティム(Shministim)
次の手記はPalestine Think Tankというサイトのマリー・リッツォの投稿を無断で拝借したものだ。
『オマール・ゴールドマンの手記』(2008年12月17日)
マリーさんへ
私の名前はオマール・ゴールドマン、19歳です。イスラエルの良心的兵役拒否者(シュミニスティム)の一人です。シュミニスティムの声を届けるメール配信に登録し、私と仲間をサポートいただき、ありがとうございます。
私は2008年9月23日に初めて投獄され35日の刑期をつとめました(訳注:軍刑務所で独房に監禁される)。2回投獄された後、病気のため釈放されたのは幸運でした。でも投獄されたのは私だけではありません。あなたがこの手記を読んでいる頃には、沢山の友人がまた獄中にいます。3週間投獄され、1週間出所し、また投獄されます。これが何回も繰り返され、21歳になるまで続きます。何故かって?
私たちはパレスチナ占領政策を続けるイスラエル軍への兵役を拒否したからです。
私は軍とともに育ちました。父はモサドのデピューティ・ヘッド(副長官)で、8歳上の姉が兵役を勤めるのを見てきました。小さい頃、私は兵隊になりたいと思っていました。軍隊を疑問視したことなど一度もありません。それくらい軍隊は私の人生の一部だったんです。
今年(2008年)の初め、私はパレスチナの平和デモに行きました。現地ではイスラエル軍が守ってくれると、いつも聞いていましたが、そのデモの間、イスラエル兵は私たちを狙ってゴム弾と催涙弾を撃ってきたのです。私はショックを受けました。とても怖かったです。私は真実を見たのです。現実を見たのです。パレスチナで一番危険なのは、私のまさに味方であるはずのイスラエル兵だと初めて理解したのです。
イスラエルに帰ったとき、自分が変わっているのがわかりました。それで兵役を拒否する沢山の若者に合流しました。私たちは”シュミニスティム”と呼ばれています。12月18日をイスラエルでの決起の日とし、イスラエル人と世界に向け、戦争という行動様式を止めようという広汎な支持があることを示そうと決意しました。あなたも参加してくれませんか?
親しい人にシュミニスティムのメール配信に登録するよう言ってください。必要なのはそれだけです。
今度はどうだった?と沢山の人に聞かれます。もちろん監獄にいるときは怖かったです。でも、暴力と戦争に反対する若者を投獄する、今のこの国のあり方も恐ろしいのです。私は自分の行動が、自分の将来を台無しにしていると悩んでもいます。それに何を着て、何を見て、何を食べるを自分で決められる自由な女の子から、分刻みで1日の行動を決められる境遇に戻ることは、とてもつらいことなんです。
この前出所した時、父に会いに行きました。二人とも政治の事は話さないように努めました。父は私を娘として私が苦しんでいるのを心配しています。でも私の意見は聞きたくないのです。刑務所にいる私を父が訪れたことは一度もありません。ああいう場所で娘に会うのがとてもつらいんだと思います。彼は軍人ですから。
私たち親子はきっと、いえ実際、似たもの同士なのだと思います。二人とも、信念のために戦います。
Jewish Voice for Peaceの友人達から聞いていますが、あなたも信念のために戦う人だと思います。私を信じてください。このオマール・ゴールドマンを信じてください。シュミニスティムを信じてください。
ありがとうございます。
オマール・ゴールドマン
イスラエル テルアビブより
Omer Goldman
Tel-Aviv, Israel
(翻訳委員会:D)
http://sabbah.biz/mt/archives/2008/12/17/israeli-conscientious-objectors-shministim/
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コメント:1
- kanchama 09-01-13 (火) 22:13
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トラブルお疲れ様です。色々な事がますます明るみにでる時代を感じます。
記事の女性素晴らしいですね。しかも美しい!どこにいても、どんな人種でも、まともな人はまとも。まともな人の活躍が目立つのは嬉しいことです。
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