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一緒にやろう輪になって…意識の中でもう十分だ、と言うべき時だ

このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。

デーヴィッド・アイク ニューズレター2009111日号

一緒にやろう輪になって…

…意識の中でもう十分だ、と言うべき時だ

皆さん、こんにちは …

ガザ地区の民間人に対するイスラエル側からの攻撃の恐怖の真っただ中において、地球規模の陰謀全般に対し「私たちに何ができるというのですか」と聞き返す人々にもってこいの答えを出してくれる、違う種類のイスラエル人の実例が届いた。

私が記したように、800人近いパレスチナ人(そのうちの大半は民間人)がイスラエルの政治と軍のリーダーシップ(究極にはロスチャイルド王国)の無慈悲な気狂い沙汰によって殺され、さらに何千人もの人々が不具者にされた。

「悪」という言葉だけではまだまだ足りない。

だが、ちょっと待った。見るに堪えないほど大規模に罪のない人々を殺していく指令を出している連中は、時間単位でガザ地区を壊滅させようと戦闘機を操縦し、戦車を進行させている者たちではない。チェスの駒のように利用されている者たちは、私が先週概略を示したように、パレスチナ国家を存亡の瀬戸際まで爆撃するハガナー(訳注:Haganah:第二次世界大戦時代、英軍とともに戦ったユダヤ民兵)とイルグンのシオニスト系テロ組織が作り上げたイスラエル国防軍(IDF)の補充部隊の隊員たちである。

このような、チェスの駒のように利用されている者たちは18歳以上の若者であり、イスラエル軍に好むと好まざるとにかかわらず徴兵された者たちである。徴兵されると、男子は3年間、女子は2年間の兵役義務があり、さらにその後もイスラエルの制服組や権力リーダーの「中枢」人物たちから勝手気ままに「予備軍」として召集されることになっている。

だが、この若者たちが恐怖感を上回る強い正義感を持ち、召集を拒否してその責任を取る用意があるとしたら、どうだろうか?1960年代によく言ったように、「戦争があっても、誰も従軍しなければどうだろうか?」

人々は人間社会を支配統制しているピラミッド組織と同じようにピラミッドを見つめていて、そして本能的に権力の頂点に目が行ってしまうものだ。しかし、頂点はそこ一点だけであり、 ピラミッドの残りの全部は頂点を支えているものだ。基礎部分なしには頂点もありえない。

私たちは、権力が存在しないところに権力を見たり、権力が存在するところに権力がないと思ってしまうように操作されてきた。ピラミッドとグローバル社会に関して、このいずれの見方も私たちが「権力」を認識する上で誤った見方だった。

私たちが逃げると、ピラミッドは崩壊する。支えていた私たちがいなくなるからだ。

イスラエルの700万人の人口のうち、いったい何人が国民の「生命」を左右する決定を牛耳っているのだろうか?一握りの、結局はたった一つの家族のヒエラルキーである。 ―それは、ロスチャイルド家。

ガザ地区の150万人の一般民間人の中で、いったい何人がハマス「政権」の命令決定をしているのだろうか?一握りの、結局はハマスピラミッドを支配統制する上層部だけである。

私がこれを書いている間も何百人(本当はもっと少ない)の者たちがイスラエルとガザ地区を合わせて900万人近い民間人の生命を左右している。尻尾が犬を振る(訳注:tail wagging the dog:主客転倒)、そのことを述べているのだ。

この原理を世界の一般論に当てはめて、わずかな者たちが何十億という人々の境遇と政策を左右することを許してしまうグローバル・ネットワークを考慮すれば、操作する者と操作される者との比率は単純に奇々怪々だ。

どうしてこんなことがあり得るのだろうか?それは私たちがそんなことを許してしまっているからだ。話はそれだけだ。

そうしたことが起こるのは、人類が無知と恐怖で、何も行動を起こさないようにがんじがらめにされてしまっているからだ。無知な人々は自らの苦境を見極めることができず、下剤の受け取りを拒否したような人々がほとんどだ。それは非常に多くの人々を非常にわずかな者が支配統制し、奴隷化してしまうことを許してしまう組み合わせだ。

20年に及ぶ不断の努力を続けた結果、そろそろ無知を薄めるチャンスをつかめそうだし、陰謀の仮面が剥がれ落ち始め、日々の経験にも今まさに裏付けられつつある。だが、直面している事柄を知りながら人々がそっぽを向いて逃げてしまったり、あるいは少なくともがんじがらめで動けないなら、それは良くないことだ。

もう無知じゃないんだけどあーあ!!!!!

私も違いますですが、あのー、私のことは無視してください、私は何も知りません、
私はデーヴィッド・アイクなど一度も聞いたことがありません

私が毎年毎年、繰り返し繰り返し強調してきたように、私たちの現今の状況から抜け出す道は一つしかない。私たちは意識しなければならない。他の全てここから始まるのだ。私たちは、自分たちが本当は何者であり、私たちが言われてきた通りの者ではない、ということに気づかなければならない、そしてそのように人生を生きていくのだ。

人々は、ある種の自己認識があるから自分は意識しているのだ、と思い込んでいる。手短かに言えば、考えることができる。だが、コンピューターは基本的なレベルで考えることができるが、バイオコンピューターと呼ばれているものは、人間の知能に最低限合致する程度の「知的な」という用語で呼ばれる具合に考える可能性を潜在的に持っている。

ところで、それはそれで正しいには違いない、というのも人体に内在するバイオコンピューターによるものだ。

考える能力は、それでその人が意識しているということではない。それは、心(mind)を有しているという意味だ。心(mind)というのは認識(awareness)と直観(perception)の非常に低いレベルである。意識(consciousness)と比べると、それは話にならないほどバカである。

人々が心と呼んでいるものは、私たちが「生きている」場所である仮想現実宇宙のソフトウェアである。私は毎日情報を集めながら、私が何年もの間語ってきた、私たちの仮想現実「世界」についてのある重大な情報を編集しているところで、今や、私はこうした情報を次の著書で詳しく述べようと思う。今のところ、私たちが「心(mind)」と呼んでいるデジタル構造概念は、すべての基礎となっている岩である、とだけ言っておこう。

「あなたの」心だの「私の」心だのというものはなく、「心というもの(THE mind)」、つまり私たちが体のコンピューターのレベルに接続していて、それが意識かと誤解されている、その構造物でしかないのだが、「あなたの心を開く」という術語は適切だ。私はこれを以前の著書で「宇宙のインターネット」と呼んだ。

“心というもの”は意識と比べると極めて限られたもの(宇宙に対してノミ)でしかないが、それでも私たちをだまし、罠にかけるコンピュータプログラムをたくさん持っている。あなたがブッシュ坊やのような田舎者のバカであろうと、一流大学の教授であろうと、それでも同じ“心というもの”に愛着を持っている。

人は地球規模の陰謀を五感のレベルで気づくことができるのに、なおも“心というもの”の中にとどまっているなら、私が知っている人々で、「この世を超えた」とか「飛翔している」などと厚かましくも言う人々は、“心というもの”のプログラムにとらわれたままなのだ。

少なくとも、「ニューエイジ」と呼ばれる人々のほとんどは、有名な信奉者たちも含めて、自分は意識していると思い込んでいて“心というもの”にとらわれている。それは“心というもの”のプログラムがいかに作用しているか、ということだ。あなたはそう思わないだろうから、意識して「飛翔している」とあなたを信じさせたがっている。

私は自由だ。そう、私の心の中では。

いつ意識を見られるのかということは、“心というもの”の狂気の真っただ中で自ら表現しているときである。それは、人生の一領域で意識を表す者はどの状況でも必ず意識するという意味ではなくて、はっきり見てわかる場合のみ表わされる、ということだ。

心は、プログラムされた応答と反応に従うが、これは人々の擦ることが予めよくわかる理由である。意識は常に意識して知っていることを行うのであり、正しいと信じたり知ったりするものではない。“心というもの”は信じるものだが、意識は知っているのである。

今週、私は、パレスチナ人居住地を占領して現在ガザ地区で罪のない人々を虐殺している軍の兵役を務めることを拒否したために投獄された、イスラエルの高校生たちの「シュミニスティム(Shministim)」という話で意識の素晴らしい一例を見た。“心というもの”は、その後で有罪判決と投獄があっても、徴兵を拒否することのすべての帰結を自らもたらすかも知れないが、意識はその帰結をもたらすものではなく、意識は何が正しいかということを知っているだけなのだ。

この、オマール・ゴールドマンさんという美しい女性は、シュミニスティムの一人で、この女性と若いイスラエル人が良心の呵責と正義のために行っているその姿勢をここで詳しく読むことが出来る。

「私に何ができるというの」、などという言い訳はしても何もしない人々が恥ずかしくなるほど、こうした信じられないような若い人々への支援を募るために、そのビデオを見るとよい。オマール・ゴールドマンさんは、次のように書いている:

「私はまず、9月23日に刑務所に入れられ、35日間労働させられました。私は2回投獄された後、幸運にも医療上の理由で釈放されましたが、釈放されたのは私一人でした。この文章を人々が読むころまでには、私の友人たちからも投獄される人々がたくさん出るでしょう。3週間入れられて、1週間出てきた後、何度も繰り返して入れられ、21歳まで刑務所です。理由ですか?私たちがイスラエル軍が占領を続けることに反対して国の兵役を拒否しているからです。

私は軍隊とともに育ちました。私の父はモサドの副長官でしたし、8歳年上の姉が兵役を務めるのを見ました。少女時代の私は兵士になりたいと思っていました。軍隊とは、そのように私の人生の一部でしたので、なにも疑ったりはしていませんでした。

今年(2008年)の初め、私はパレスチナの平和デモに行きました。私は、イスラエル軍は常に私を守ってくれるためにあるのだと聞かされていましたが、デモの間中イスラエル軍の兵士は私と友人たちにゴム弾を発砲し、催涙ガスの入った手りゅう弾で攻撃してきました。私はショックを受け、恐怖におののきました。真実を見てしまったのです。現実を見てしまいました。私は初めて、パレスチナで最も危険なものはイスラエル軍の兵士であり、私の味方だということになっていたはずの、まさしくその人たちが最も危険だということを見てしまったのです。」

この女性が体験したことは、少なくとも彼女の人生のその部分だけでも、彼女に意識させた。彼女が“心というもの”の中にとどまっていたとしたら、特に彼女の人生において軍隊によって囲まれていたその時に取った姿勢が彼女にもたらす帰結のことを自分で考えただろう。しかし、意識は、いったん発動したら否定しないだろう。それはなにがなんでも、自ら正しいと知っていることをしなければならないからだ。

また、ユダヤ系アメリカ人の、別のある若い女性の話だが、この女性は、自らが忠誠を誓うものは、正しいことに対してであり、何らかの遺伝上・宗教上・文化的な“心というもの”のプログラムに対してではない、と心に決めた素晴らしい女性もいる。この女性はアンナ・バルザーさんといい、彼女はヨルダン川西岸に行き、イスラエル占領下でパレスチナ人が暮らす惨状を自らの目で見てきた。

彼女が見たものは、この女性の人生を変えてしまった。 ―彼女は何が起こっているのかを意識するようになった。そして、さらには、意識とつながった人々には、全体的につながろうと、特定の状況に限ってつながっていようと、もはや避けて通ることはできない。(アンナ・バルザーさんのビデオ

イスラエル政府のプロパガンダは、何も疑問を付そうとしないメディアと徒党を組みながら、特に米国においてはイスラエル人皆が戦争の背後にいてパレスチナ人の土地を占領しているかの様な印象を作り出している。だが、それは嘘である。

イスラエルにおいて、シオニスト当局によるある種の認識を植えつけられてる人々がいても、シオニスト当局の怒りと憎悪に直面することを厭わない勇気ある、かなりの反対勢力のユダヤ人いる。それは「イスラエル人」と呼ばれている者の文化的なソフトウェアとしてではなく、人間として何が正しいのかを意識して行うように決意した人々だからだ。

目下、ガザ地区で行われている大虐殺以前ですら、イスラエルのエリート部隊の中に、自らが何を行っていて、彼らがパレスチナ人を攻撃したり、彼らの土地を占領する戦いに加わることを拒否する意識が生まれ始めていた。(兵士たちに関する報告

Refuseniks:兵役拒否
モラルの勇気

こうした実例を挙げることは、不正とこの「世界」の苦悩に対する回答である。不正と苦悩を扇動するような連中に手を貸すことをやめること、そうすれば不正や苦悩の扇動も起こらなくなる、というのも、「連中」は状況を操作しようとするかも知れないが、まさしく私たちこそが、あの連中に代わってそうしたことをやめさせるのだ。

私たちに選択肢などないのだろうか。馬鹿げている。私たちに選択肢がないなどということはあり得ない。私たちが取り得る選択肢も存在するのであり、選択肢がない、などということはあり得ない。

目下のところ、イスラエルにおいては、そしてまさに世界中でもそうだが、公正と正義の立場を表すために十分な取組みをする人々はまだ少数派であるが、潜在的な数は無限である。

軍服を着た兵員なしでは戦争はあり得ない。銀行制度、ビジネス、メディア、その他を含めた体制にとっても、同じことである。こうした支配統制と操作の制度的枠組みがいずれも機能するためには私たちの協力を必要としているので、そうした協力なしでは、これらカルタの家は崩壊するだろう。

私たちは、私たちを奴隷化しようと企む連中に手を貸してしまっているが、そうした協力をやめれば、連中は権力を失ってしまうだろう。防波堤が破れるまで、そしてこの臆面もない事実に、“心というもの”を開くまでにどこまで事態が悪くならないといけないのだろうか。

イスラエルのあの若い人々は、私たちに何ができるのかを示す実例であり、中央集権の大建造物が必ず崩壊するよう、この実例に続こう。

馬鹿げている?なら、いいよ、私を“心ない者”と呼べばいい。大変光栄です。


愛はあなたの心と私の心を結ぶ懸け橋になる

その時が来たと思わない?
思うの?じゃ、いつから始めようか?
今から始めたらどう?

Click here to watch …


平和のためのユダヤ人の声を聞いてください

Click here for details

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そう、それはまさにイスラエル」をボイコットする米国の法律に反対するものである

「当局は輸出管理法(Export Administration Act)の法律の下で反ボイコット法を実施・施行することに取り組んでいる。こうした法律は、アラブ連盟と特定のイスラム系の国々が主導するイスラエル・ボイコットを推進したり支援したりする米国企業をつまずかせ、その支援等を禁じるものであり、その対象にはボイコットを証するように構想された情報の、ある種の要求に従っていることまで含まれている。そうした要求に従っていることは、輸出管理規制(EAR:Export Administration Regulations)が禁止する可能性があり、当局に報告されてしまう可能性がある。」

Read more …

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Israel Using Chemical Weapons In Gaza
イスラエルが化学兵器をガザ地区で使用中

「証拠写真がはっきりと浮かび上がらせて示したことは、 イスラエル軍は、これまでイスラエル国防軍筋が公式には否定しているが、反対論儀が出ている白リン酸爆弾をガザ地区での攻撃に使用してきている。

さらには、砲弾が甚大な炎上をきたしてパレスチナ人が負傷したという証拠もある。民間人に対する白リン酸の使用は、国際法で禁じられている。」

Read more …

[翻訳委員会:ゴルトしまじろう]

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デーヴィッド・アイクニューズレター2009年1月11日号予告(『オマール・ゴールドマンの手記』)とお知らせ

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