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【参考記事】 ハマスとガザ戦争の真相

ミドルイースト

   ミドルイースト・オンライン
  2009年1月10日初出

≪参考記事≫ 

First Published 2009-01-10
The Facts about Hamas and the War on Gaza

ハマスとガザ戦争の真相
ノーマン・フィンケルシュタイン著

ハマスは、一九六七年六月の第三次中東戦争(六日間戦争)開始以前の境界線《六日間戦争においてイスラエルは、ヨルダン川西岸、ガザ、ゴラン高原、シナイ半島を占領したが、この占領以前に引かれていた境界ライン》をベースとするのであれば、外向的な紛争解決に応じる意向であることを暗に仄めかし続けて来ていた。ところがイスラエルは、ハマスのこの和平攻勢を打破せんものと、ハマス壊滅を狙って来たのである《ハマスが制圧したのでガザを封鎖したと言われているが》封鎖は、ハマスが実効支配を確立した時にはもう既に実施されていたことであって、封鎖はハマスの実効支配とは何の関係も無いのである。このように述べるのは、ノーマン・フィンケルシュタインである。以下にフィンケルシュタインの論説を紹介する。

記録に照らせば、このことは歴然としている。記録というのは、イスラエル政府当局のウェブサイト–イスラエル外務省のウェブサイト–である。記録上はっきりしていることは、休戦の合意を破ったのはイスラエルの方であり、ガザ地区に侵入して、6名ないし7名のパレスチナ人活動家を殺害したのであった。その時点で初めて–今ここに引用しているのは、イスラエル政府の公式文書(ウェブサイト)である–ハマスは、報復を決意したのである。すなわち、イスラエル側からの攻勢に対する仕返しとして、その時点で初めてロケット弾攻撃を開始したのである。

MFA

ところで、何故イスラエルが停戦合意を破ってガザ攻撃を仕掛けて来たのかという、その理由についても、記録上明らかである。ハアレツ紙によると、イスラエル側からのこの攻撃(ガザ侵入、殺人)については、停戦が開始された時点《2008年6月》よりも前から、バラク国防相がその計画を練り始めていたのであった。昨日のハアレツ紙の報道によると、あろうことか、この攻撃計画は、《2008年》3月から立て始められていたのである。そして、こうした侵攻行動をイスラエルが採った理由を考えると、それは二つあると、筆者は考えている。

第一の理由は、イスラエル政府が言っているところの抑止力というもの–くだけた言い方をすれば、要するに、イスラエルがテロを仕掛けてガザの住民に言うことを聞かせることができる能力のこと–の程度を強化して置くためである。すなわち、2006年7月のレバノン戦争敗北以後、イスラエルは、レバノンに敗れはしたもののまだ死んではいないぞ、歯向かう者にはテロを仕掛けて恐怖政治で言うことを聞かせることもできるぞ、というメッセージを送って置かなければならないと考えていたということであり、それを実行したということである。

イスラエルが侵攻作戦に出た二番目の理由としては、ハマス側が、1967年のイスラエル占領以前の境界ラインを国境とする条件の下で紛争の外交的解決を望んでいる、というサインを、それとなく送っていた、ということが挙げられる。すなわち、ハマスが、その時までに国際世論には従いはするし、国際団体にもその大抵のものには加入するはして来たのも–加入していない国際団体を探すのに苦労するほど力を入れて来たのも–外交的解決を目差さんがためであったこと、このことを暗に仄めかしていたことが、第二の理由としてあげられる。つまり、その時点で、イスラエルは、自分たちがパレスチナの和平攻勢を呼んでいる事態に真剣に対処しなければならなくなったわけであり、和平攻勢を打ち負かすためにはハマスを粉砕しなければならないと考えたからである。

米国の雑誌『ヴァニティ・フェア‘Vanity Fair’』2008年4月号の特集記事において、作家デービッド・ローズが、アメリカの国内資料に基づいて論証している通り、アメリカ合衆国が、パレスチナ自治政府やイスラエルと共謀して、ハマス壊滅戦略を企てたのであって、ハマスは自らを粉砕せんとしてかかってくるこの陰謀を見抜き先手を取って自衛に出ただけである。このこともまた、歴然とした事実であってもはや反論の余地などありはしない。

 

Condoleezza Rice and George W. Bush

   The Gaza Bombshell
by
David Rose April 2008

何しろ、イスラエルがガザ地区封鎖を続けるならば、パレスチナ人住民の経済活動は阻止されてしまうわけであるから、ガザにおけるイスラエルの支配はありとあらゆる一切合財の事物の上に及ぶことになる。因みに、ガザ封鎖は、ハマスがガザを実効支配した時にはもう既に実施されていたのである。だから、封鎖は、ハマスがああしたから、こうしたから、ということは一切関係がないことになる。《巷間、ハマスが実効支配したから封鎖したと言われているけれども》封鎖の方が先に「実効支配」していたのであった。–確かに、ジェームズ・ウォルフェンソンを始めとするアメリカの顧問団が送り込まれて、封鎖の解除に向けた努力が払われはしたものの、それは、イスラエル軍がガザ地区に部隊を進入させた後になって綯った泥縄というものである。

こうした厄介な事態がガザで起こらないで欲しいものだと、イスラエルはずっと今まで祈り願っていた所であった。まさにこのようにえらい事になると困るので、イスラエルは、外交ルートによる紛争解決を嫌がって来ているのである。ダマスカスの首脳部にしても、ガザの首脳部にしても、何遍となく声明を出して、1967年6月のイスラエル占領以前における境界ラインの線で決着をつける用意がある旨を伝えて来ている、と言うのに、である。このことは、記録を見れば歴然としていて、実際、一点の疑念の余地もない。

毎年毎年、国連総会は、『パレスチナ問題の平和的解決』と題する決議案を議決しており、年々歳々、賛否の区分けは動かない。一方に世界中のすべての国々《ほぼ全加盟国》が陣取るや、他方の陣構えは、イスラエル、アメリカ合衆国、それに南海環礁(環状サンゴ礁)の数カ国とオーストラリアと、顔触れは決っている。昨年の採決結果は、164対7であった。それ以前は、1989年以来(1989年を含めて)、毎年毎年ずうっと151対3であり続け、一方に全世界の国々、他方に、アメリカ合衆国とイスラエル、それに島嶼国ドミニカの三ヶ国という色分けであった。

   PEACEFUL SETTLEMENT OF PALESTINE QUESTION, UN SPECIAL INFORMATION PROGRAMME
AMONG ISSUES ADDRESSED AS PALESTINIAN RIGHTS COMMITTEE APPROVES FOUR TEXTS

アラブ諸国を見てみても、アラブ連盟–アラブ連盟加盟の22ヶ国全部が全部–は、1967年(第三次中東戦争)以前の境界ラインの線での二国交渉を主張しており、パレスチナ自治政府も、1967年6月以前の境界ラインの線での二国間交渉を主張しており、ハマスも、一九六七年六月以前の境界ラインの線での二国間交渉を主張している。これさえ無ければ紛争は解決するという唯一の障害はイスラエルであり、アメリカ合衆国がこれをバックアップしている事である。これこそが問題の核心である。

ところで、記録を見れば明らかな通り、ハマスは、一貫して停戦を望んで来ているのであるが、ただ一つだけ条件があって、それは、イスラエルが封鎖を緩和することである。ハマスが報復措置としてイスラエルに対してロケット弾攻撃を始めるよりかずっと前から、ガザ地区のパレスチナ住民は、イスラエルの人道に悖る外部遮断封鎖によって、極度に困窮した生活を強られ続けてきていた《食料、灯油、電気、水道をシナイ半島から調達できず、農産物は外部に出荷できず、工場の96%が(2008年現在)操業停止。文字通り『ガザゲットー』、『世界最大の刑務所』の名に値している》。元国連人権担当高等弁護家メアリ・ロビンソン女史は、ガザにおけるパレスチナ住民の窮状を目にするとき、人類文明の最後の一かけらもそこには残っていないことが分かる、と述べている。女史が検証したこのガザ封じ込めの窮境は、なんと、停戦期間中の話なのである。

記録を見て判かることは何か。記録を見て判かることといえば、それは、ここ20年余りの間というもの、国際社会が挙って願い求めて止まない事柄は、1967年6月のイスラエル占領以前の境界ラインを国境線として中東紛争を解決したいということであり、その要望に附帯してきた条件というのも、難民帰還問題を公正に解決して欲しいということだけだった、ということである。それにも拘らず、164ヶ国の国連が監示はすべからく、レジェクショニスト(‘rejectionists’=交渉一切拒絶主判者)ということになるのであろうか。そして、中東和平に賛同しているのは、アメリカ合衆国とイスラエルとナウル共和国とパラオとミクロネシアとマーシャル群島とオーストラリアだけということになるのであろうか? どっちがレジェクショニストなのだ。和平に反対しているのは一体どっちなのだ?

記録を見れば判かる通り、キャンプ・デーヴッド合意《1979年、米カーターの仲介で、エジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相の間で結ばれた和平条約》において、また次には、米クリントン大統領の提示した決着条件を柱とした和平交渉において、さらにその次には、ターバ《ガサ地区からシナイ半島のエジプトに入ってすぐの所にある、アカバ湾に面した港町》の和平会議において、取り上げられた、譲るにも譲りようのないような辛い案件の全てについ渡って、出されてきた譲歩という譲歩は、一言半句に至るまでことごとく、パレスチナ人の口から出されたものばかりであった。イスラエルは、譲歩の「じょ」の字も切り出したことは無かった。繰り返すが、和平交渉で出された譲歩案は、悉くパレスチナ側から言い出されたものばかりであった。パレスチナ側は、国際法によって紛争が解決されるから、それに従うのに吝かではないと、何度も何度も表現して来ている。

国際法といえば、その法旨は至って明白である。2004年7月、世界最高の権威をもつ司法機関、国際司法裁判所は、ヨルダン川西岸地区のいかなる場所にも、ガザ地区のいかなる場所にも、イスラエルは領有権を持たない、と判示した。また、イスラエルは、エルサレムに対する領有権も持っていないのである。すなわち、アラブが支配して来た東エルサレムは、この世界最高の権威をもつ司法機関の判断によれば、パレスチナ人の領土であり、かつ、現在他国《イスラエル》により占領されているところである、ということになる。また国際司法裁判所は、全てのイスラエル入植地は、とりわけヨルダン川西岸地区のイスラエル入植地は、国際法上違法である、と判示した。

さてここで、大きな点を指掲して置きたいのは、こうした問題点の全てに渡って、パレスチナ側は、譲歩するについて前向きな姿勢をとって来た、ということである。譲歩という譲歩は、全部が全部パレスチナ側から出されたものであり、イスラエル側は、譲歩と名のつくものは何一つとして出していない。

こういうことであって見れば、誰がどう出なければならないか、その大局は歴然としていると思われる。

まず第一に、アメリカ合衆国とイスラエルは、自分達以外の国際社会の国々の仲間に入れてもらってその意見に従わなければ直らず、また国際法を遵守しなければならない。国際法は、《強制力を伴わないからといって》嫌なら守らなくとも良いというようなどうでも良いものではなく、国際法は誠実にこれを遵守すべきものであると思われる。もしもイスラエルが国際法に従わないのであれば、それは問題として取り上げなければならないこと、イスラエル以外の国が従わなかった場合と何ら分け隔りがあってはならない。

オバマ氏は今こそ、アメリカ国民に事の真相を率直に話さなければならない。オバマ氏は、パレスチナ紛争に決着をつける上で何が一番のネックになっているか、正直に話すべきである。ネックになっているのは、バレスチナ人たちが対イスラエル強硬姿勢(レジェクショニズム‘rejectionism’=交渉一切拒否時態度)を持っているからなどではあり得ない。ネックになっているのは、アメリカ合衆国政府がバックアップしてくれることをいいことに、イスラエル政府が国際法の遵守を拒んでいることであり、国際社会の世論《ほぼ全会一致の意見》に従うことを拒んでいることである。

だから、我々アメリカ人たちに課された最大の課題は、以上述べて来たようなパレスチナ問題についての虚報(虚偽報道、虚偽発表)を見破ることである。

 

ノーマン・フィンケルシュタインには五冊の著書があり、すべて四十ヶ国語に翻訳されているが、その中には、『Image and Reality ofthe Israel – Palestine Cenfltct 』(未邦訳)、『Beyona Chutzpaler』(三交社から『イスラエル擁護論批判』として邦訳が出ている)、『Holocaust Industry』(三交社から『ホロコースト産業』として邦訳あり)の三冊も入っている。フィルケンシュタイン氏は、いわゆるユダヤ人ホロコースト生き残りの子孫である。氏のウェブサイトは、http://www.normanfinkelstein.com/である。本記事は、フィンケルシュタイン氏のDemocracy Now.org. 上に発表されている氏の論評の要点を抜き出して編集したものである。

【翻訳委員会:うま】

フィンケルスタイン

デモクラシーNOW

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参考記事:「イスラエルについて真実を語るべき時が来た」

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