デーヴィッド・アイク週刊ニューズレター予告編
2010年10月2日土曜日
「左派」、「右派」、「中道派」・・・
・・・選択という幻想
民主主義とは「自由」についての操作された認識を生み出す自由のことを意味する、という嘘が一般大衆に向けて宣伝されている。その裏側で、専制政治が目に見えないように、そしてそれほど問題にならないように運営できるのである。
ひとつの票を何か価値のあるものとするためには、異なる政治及び政策の選択肢の間で、ひとつの選択として投じられなければならない。そうした異なる名前、色彩、レトリックを持つ選択肢が、もしも基本的に同じであるならば、選択権などはなく、このように票が役に立たないわけである。これをもって、自由主義国という概念は、「自由」と同等視される四、五年ごとの投票権という、偽装の、希薄な定義にさらに落ちなければならない。・・・
・・・選択という幻想を宣伝、称揚するための専門用語は、・・・変化(チェンジ)・・・であり、彼らは全員が現在それを使っている。オバマの選挙運動は、彼が通常通りだったという事実を隠すために、「変化」という言葉をひっきりなしに繰り返すことを基礎とした。
デーヴィッド・キャメロンが英国首相になるための選挙運動は、彼が「変化を支持している」ことを基礎に置いていたし、今週、新任の労働党党首エド・ミリバンドは、英国の経済を荒廃させ、画策された戦争を行い、オーウェル的な体制作りに十三年を費やしている、彼の党が、現在「変化」を支持すると言っている。続いて、サラ・ペイリン(女性のボーイ・ブッシュとして、それに匹敵する知性を持つ)が、二〇一二年の大統領選候補を目指し、「変化を支持している」ことをしゃべっている。
まったく、もっとマシな嘘がつけないのか。「変化」とは、大衆を「希望(ホープ)」という罠にかけるために立ち位置を維持しているだけのことであり、その「希望」とは、次の政治の指人形が少しは建設的な一石を投じるだろうというもので、そのときシステムは、彼らが確実にそうしないようにするために構築され操作されるのである。この「希望」とは、自分が最後には前方にある何かを掴むだろうと希望しながら、回転木馬の馬にまたがっているようなものだ。私は固唾を呑んで期待することはない。
【翻訳チーム:うさぎの穴はどんだけ】
当記事の本編は後日公開予定です。
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