このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。
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デーヴィッド・アイク週刊ニューズレター
2012年5月13日 日曜日
憑依は神話ではない…
…それは本当であり、世界を動かしている…これは真実だ。
…しかし私たちには力があって「彼ら」にはない。
皆さん、こんにちは…
私はペルーと1991年2月に訪れた場所(私の人生を変えた)の旅先から帰ってきた。私をまったく新しい空間に強烈にいざなった旅行の焦点ともいえる出来事は一瞬で終わることもなく、ずっと続いた。
帰って数日は実に奇妙な感覚におそわれた。まるであの世とこの世の間にいるような感じだ。何だか違和感があり、何もかもがいつもと違って見えた。それが何なのかうまく説明できない。それらを明らかにする前にまずいろいろつなぎ合わせて考えてみる必要がある。
1991年の旅で深遠なことが私に起きたがそれと同じ経験だ。それから何週間もあとに青緑色の期間(しばらく青緑色の服ばかりを着ていた)に何かが私の身に降りかかり、何ヶ月も後にはっきりと何が起きたのかを理解できた。
私の青緑色ウェアのスタイルは永く続き、他の色の服を着る気になれなかった。何かが起きていた。疑う余地もなかった。日頃私は早起きして、午前中は仕事をする毎日だった。
しかし、旅から帰ってからというもの十時半になっても布団の中にいて、それでもまだ眠れそうな気がした。
私はここに座っている。そして私はここに座っていない。これは確かにばかげた表現だ。
しかし多くの読者が、この感覚を理解してくれるだろう。私の肉体はここに座っているが、私という存在が座っているのだろうか?いや、そうじゃない。私というのは真我だ。この真我が私の肉体がここに座っているのを見ているのだ。
ペルーに戻れ:私の知る限り、これほど強力なエネルギーに満ちあふれたところはない。
それは旅行中のだいたい3日目の早朝に起きた。私はホテルの自分の部屋に向かって歩いていたが、突然まっすぐ歩けなくなった。ペルーから送ったビデオでもこのことを言及している。
私は左によろめき、何とかまっすぐ歩こうとしたがうまくいかなかった。3,4分ほどこんな状態が続いた。
最初は病気だと思い、気も弱々しくなった。そして体を休めなければと考えた。しかしそう思ったのもつかの間、この奇妙な体験はすぐに終わった。
私が立ちあがった時、頭の中でポケットベルが鳴ったような気がしたかと思うと、次のような声がした。
”我々は、あなたの頭脳と直接交信している。”
今までのやり方ではこの現実を解明することはできないだろう。カリフォルニアにいる霊能者の友人モニカ・セプルベダが私にメールを送ってきた。
“分かっていると思うけど、第3密度とはもうお別れなのよ”
確かに私はペルーでの霊的体験の後1時間半くらいの間、この世界にいなかった。別のところからこの世界を見ていたような気がした。そしてその旅行の途中から何かが変わり、家に帰ってからはもっとその感じが強くなった。
1991年に私が霊的な体験をした場所の近く:シルスタニにて
旅は15,6世紀に栄えた古代インカの都市クスコから山頂の失われた都市マチュ・ピチュへと移り、プーノとチチカカ湖に至った。プーノは1991年に私の人生を変えた経験をしたシルスタニの近くだ。
行くところすべて愛しくて楽観的で力強いエネルギーに満ち溢れていた。この日の事はもっとも記憶に残った。旅行の最後は国境を越えてボリビアに入り、ティアワナコの古代遺跡を訪れた。ここのエネルギーは愛しいと言う他になく、その日ずっとそんな気分だった。
ティアワナコ寺院:ここのエネルギーは本当に神聖なものだった
もし人間の思考や情緒がエネルギー場によって変わると思わないなら、ペルー、ボリビアからティアワナコへと旅してみるべきだ。そこは三途の川を渡るときの極楽の世界を感じさせる。
ペルーではチャクラに触れ、ボリビアでは感情のチャクラが人はすべてひとつだと旅の一行に感じさせた。そう、ボリビアの服装はエネルギーを現していて、エネルギーもまた服装によって現されるのだ。
我々旅の一行はまるで人間同士をつなぐバイパス手術を受けた後に病院から全員が戻ってきたかのような連帯感があった。
だが、ボリビアに入国するためにいろいろな国から来ていた我々観光客はささいなことで手間取った。ボリビア側にある国境沿いの街はごみだらけで汚かった。
国境からティアワナコへ行く道中の40分というもの二度もセキュリティチェックを受けた。ひとつは警察、もうひとつは軍隊だった。帰りも同じだった。ここに着てからそんなことを心配しても遅いのだが。
ティアワナコはエネルギー的に見て恐ろしいところだ。この雰囲気は世界中いたるところでも感じられる。それは今で言えば神を招くための悪魔的な儀式であり、人間を生贄にするネガティブなものだ。私に言わせれば爬虫類人間のエネルギーそのものだ。
事実、壁の表面に顔が並べられた神殿があった。これは悪魔の儀式の間に神かエンティティを呼び寄せる象徴的な表現だろう。
我々旅の一行がティアワナコで腹部のチャクラのエネルギーを感じた。この経験は重要だった。悪魔の儀式を通して人間性が神々によって隷属されてきたのだと理解できた。
人間のエネルギーフィールドとホログラフィックの身体に浸透する主要なチャクラの渦(車輪とも言う)は異なる周波数で共鳴している。
潜在的にもっとも高くもっともパワフルなエネルギーセンターはハートチャクラであり、逆に潜在的にもっとも低いのは上腹部の情緒をつかさどるチャクラだ。このチャクラは大変パワフルではあるが、ハートチャクラとはバイブレーションが異なる。
ハートチャクラとマニピューラチャクラは異なる世界を現しており、前者は自由を表現し、後者は奴隷化を表現しているハートチャクラの渦は知性あるいは知識を共鳴させ、真我の意識を拡大させる。
マニピューラチャクラは爬虫類人間の人間狩りレースのために操作されてきた。奴らの手下どもも加担している。我々を低いバイブレーションの状態にしておくためだ。
科学的に90%以上のDNAはジャンクコードと呼ばれて、何の役に立っているのか不明だが、ここに植えつけられているのが生物学的で情緒的なソフトウエアだ。我々はここから生成された情緒的な状態に固定されたままだ。
一般的に人類社会は恐怖、ストレス、不安、心配、罪悪感、怒りなどを通して、情緒的な状態を引き起こしやすくなっている。こうした情緒をどこで感じるだろうか。それは上腹部のチャクラだ。人が怯えきった状態になるのはここのチャクラが原因だ。
このチャクラは大腸と小腸にエネルギッシュな影響を与える。
我々は恨みといった情緒を胸の中心でも感じとれる。これはハートチャクラを抑制するが、心の真の知性がない場合は情緒のチャクラと頭脳によって人は支配される。圧倒的な大多数の人間がそういった状態なのだと私は言ってきた。
偶然でこうはならない。断じて!つまりグローバルな陰謀のもとにあるのはハートチャクラを抑えることであり、頭脳を働かせることで情緒チャクラに人類の現実と行動をつかさどらせるのだ。なるほどうまい考えだ。
我々旅一行はペルー旅行を通じて心の世界を訪れ、それによって皆の態度も変わってきていた。この世界の現実に触れ、皆の相互関係によって生まれたポイントは何はともあれハートチャクラだった。
このチャクラは上腹部のチャクラの生み出すマトリックス制御の壁を超えて共鳴していた。低いバイブレーションを持つ情緒的感覚によって作られたエネルギーフィールドのマトリックスを超越していた。
そこには笑いがあり、楽観主義があり、喜びがあった。ボリビアの国境を越え、ティアワナコに着くまでは。ここからエネルギーは変化し、皆の態度も変わった。
これははっきりと認められたので、皆が感じた変化について帰途に語ってくれるように頼んだ。マークはアイルランドから来たナイスガイだが、それまで幸福感に浸っていたのにティアワナコが彼を変えた。
突然怒り出したり、不機嫌になり、写真を撮るときに邪魔が入ると怒鳴りたくなったと述べた。 このことは陰謀とか言葉で表現できない人間の、行動を知るのに重要だ。我々は人間をコントロールする最前線にいたのだ。
人類はかって映画「アバター」の青い皮膚の住人たちの世界に生きていた。ハートチャクラの世界だ。しかし今は違う。プレデターたちが、現実社会と上腹部のチャクラを動かすために、人間の知覚と行動を操作してきた。
人間の反応と行動を見て欲しい。それは常に情緒的な反応(恐れ、欲、怒り、嫉妬、ストレスその他多くの情緒的感情)から引き起こされる。これは意図的に設計されたものだ。
どうして?それはあなたを心にある気づきの世界から追い出し、低いバイブレーションの世界へと誘うからだ。
私は永い間このことに気づいてはいた。だがペルーを旅行して互いのハートチャクラからハートチャクラへとつながったり、ティアワナコで低い情緒的なバイブレーションを感じたりすることで完全にはっきりとした。
心理的にも行動にもその結果はあからさまに現れた。「あなたの心を開きなさい」「心を開いておいでなさい」これらの言葉は陳腐なニューエイジのありきたりのマントラとは違う。
これらの言葉の深い意味が分からなければ本当に陳腐なマントラで終わってしまう。心を開くとは自由へのバイブレーションのドアを開くということだ。
しばらくの間、静かに座って、胸のチャクラに焦点を当てることだ。そしてそのチャクラが開くように自分に命じ、エネルギーの流れを感じることだ。もし腹部の辺りに何かしら情緒を感じるなら、胸の辺りに神経を向け直すのだ。
心から出るエネルギーに触れると低いバイブレーションは起きない。これは望みもしない低いバイブレーションを退治する効果的な方法だ。
こうすることであなたははっきりと悟るだろうし、認知力も高まるだろう。簡単にはできないだって?できるとも!
心臓病は死に至る病だ。ストレス、抑制、停滞などにさいなまされたハートチャクラはその部位にある心臓そのものに悪影響を与えるからだ。
‘心の鎖を振りほどき、私を自由にせよ’
ティアワナコからプーノへと戻り、ペルーの国境も越えたところまでは順調だったが、その後かっての経験と同じような出来事が起き、我々はしばしの間留まった。
ハユ・マルカは悪魔の門で知られた地域だ。不吉な名だが、そこで生み出されるエネルギーは実に心地よいものがあった。またの名を神の町と言い、次元間ポータルあるいはスターゲイトとも言われている。
その正式名称は、プエルタ·デ·ハユ・マルカか神の門かどっちかだ。ああ、さようでしたか。ところでどんな神々がいたんでしょうかね。
多くのニューエイジがスターゲイトなどについて語っている。だが疑問がある。もしそれが事実なら、その門はどの次元につながるのだろうか。これは方程式から抜け落ちた断片のようなものだ。神の門が他の次元の世界に導くなら、よろこんでその世界を訪れる。ありがたいことじゃないか。
その地に着いたときは夕暮れに近く、すぐに暗くなった。皆は写真を撮り続けたが、写真の多くに光の筋が見られた。彼らの撮りかたのせいでこんな写真になったのだろうが、正直誰も説明できなかった。
エネルギーに満ちた大地で多くの活発な働きが感じられたのは確かだ。同行していたらあなたも感じられただろう。だがたいていはあまりいいものではなかった。
奇妙な写真もあった。自分の半分が鮮明で半分がぼけている。私がそんな感覚になったときの写真だ。そう見えてしかたがない。少なくともこのイメージはいかに身体が固まりではなく、流動的なものであるかを象徴的に感じさせる。
それは幻想的なホログラムであり、物体はマイクロ周波数に他ならないのだと感じる。
私はその門から少しばかり歩いていくつかの岩を見た。それらの岩は「門」の守護人であるという言い伝えもあった。この間に一行のほとんどが「門」のほうへ行った。「門」はまるで窓か入り口のような形に切り出され、赤い色をした巨大なシートのようだった。これはあの9.11のツインタワーやフリーメーソンの柱を思い起こさせる。
私が少し離れた岩に座っている間も、皆は「門」のところでそこに何があるのか感じようとしていた。私はそこから大きな叫び声がするのを聞くまでは近づくつもりはなかった。
私はペルー人ガイドにあの音は何なのか、動物の声なのかと訊いた。彼はありきたりのコメントを言うと、携帯電話をチェックしながら離れていった。
しかし私はその音が気になり、門の方向へと闇の中を歩き始めた。別の道から来た他の一行はそこは恐ろしい(つまり悪魔ということなのだろうが)から行かないほうがいいのではと言ってくれた。ガイドは誰かがいやな経験をしているのだと言った。
私は歩みを早め、そこへガイドと一緒に行った。着くとグループの人たちが岩の隙間に座っている男を囲んで、慰めていた。これがその音だったわけだ。男は頭をかかえ、ひどく辛そうに見えた。
私はこうしたことを今まで永年にわたり見てきた。文字通り何かが彼に取り憑いたのだ。つまり憑依されたのだ。私は皆にその男をそこから離すように頼んだ。男はそこから離れるまでずっとそんな状態だった。
悪魔の憑依というテーマはどの宗教でもどの文化でも見られる。現実に起きることだからだ。
男を襲った力は移動しない限り留まるのだ。私にははっきりと分かる。デビッド・アイク文庫のリンダ·アサートンが一行に居て、彼を取り囲んで輪になりエネルギーを与えましょうと言った。私も心のエネルギーの中ではエンティティは存在できないと強く言った。
奴らのエネルギッシュな状態はバイブレーションが低い。これが奴らが社会で、起きていることや遺伝学や人間社会を低い波へと常に調整しようとする理由だ。
人類が現実を心のエネルギーで満たすなら、プレデターたちは去ろうとするだろう。
さて私はその男を取り囲む輪の中に入り、彼の頭つまりクラウンチャクラに手を置いた。ここはエンティティが入り込む部分であり、ここから追い出すのだ。皆が注視するなか私が手を置いた途端、彼は穏やかな表情になり、横になった。
つまりエンティティは、我々が手で輪を作って生じたエネルギー場で生き残るために彼から焦点を移動したのだ。彼は横になり、私はひざまずき、彼の頭に手を置き、エンティティよ去れと言った。 私は一瞬で手に強い磁場を感じた。
そして私の中を閃光が走り、頭上から出ていった。これは何秒もかかっていない。一瞬だった。彼は自分を取り戻していた。
エンティティは電磁的な存在だ。
人間の中に心身を支配しながらこの電磁の世界から侵入する。だからこそ奴らが出て行ったときに私の手に電磁的な感触があったのだ。
政治家、銀行、企業、メディア、軍隊もエンティティが支配している。奴らにはハートがない。ハートがないという言葉に留意してほしい。ハートエネルギーがないのだ。つまり奴らは心ない存在ということだ。
私が広範囲にわたって書いてきたハイブリッドの血統はエンティティにとって互換性があり、それだけに奴らの人口が増える以上に強力に憑依する力をもっている。
憑依は程度の差こそあれ誰にでも起こりうることだ。皆が冷静な対応をしなければなるまい。憑依するエンティティの作る電磁場が時々支配的なほど強くなったとき、それはまたしばしば大きな怒りとか情緒が生じたときでもあるのだが、よく観察することで電磁場がはっきり分かる。
シェイプシフトと呼ばれるが、こうした状況下で奴らは人の姿から本当の姿へと本性を現す。エンティティは古代社会でも宗教の世界においても記録が残っている。
グノーシス派は彼らをアルコンと呼び、イスラエルではジンと呼んできた。クリスチャンはデーモンと呼ぶ。ズールー族ではチタウリとなる。
彼らはしばしば爬虫類人間の姿になる。しかし頻繁に変化するわけではない。多様な名称で呼ばれる彼らは、人間の身体に侵入して、支配してきた。
支配体制を守るために選ばれた連中が、秘密社会やサタンの儀式においてエンティティに憑依されるのだ。フリーメーソンに入会すると儀式が奇妙でつまらないものであると分かるのだが、理解していない部分もある。
エンティティのターゲットになった人が憑依されるのを許してしまうということだ。そんなふうにデザインされる。そうなると確実に個性が変わっていく。
個性が大きく変わり、心の失われた状態になったときに政治家、銀行家などは支配し続けられ、秘密社会のネットワークが彼らの心に巣食うのだ。
大抵の人が極度のうつ病になっているときに憑依されやすい。ドラッグもアル中もそうだ。またそんな人とセックスするときもしかり。エネルギッシュな交流がエンティティが入る場を作るのだ。
さて、夜に一行の数人とまたその門に戻った出来事の二日後に昼間の景観を見た。その付近の岩の形状は「門」に入ったとき見たのと同じだった。
我々はしばらくの間エネルギーの満ちた大地に座った。皆がその場所を不快で悪魔的なものだと感じた。地元の人が我々に「もし準備なしにそこへ行ったら、きっと気が狂う」と教えてくれた。
そう、高いバイブレーション状態になることで準備するのが重要だ。さもないとエンティティがあなたがたのエネルギー帯に侵入して支配するだろう。
その場所が、唯一悪魔的なところだというわけではない。そのエリア(たぶんずっと広大だろう)における地球の磁場の力が大変大きいということだ。
二人の男が政府広報を読み、こう言った。「エネルギーライン(経路)がクスコ、マチュ・ピチュ、シルスタニ、ティアワナコと結びついたゲートロックに通じている。我々がまさに旅行しているところじゃないか」
私は、過去二十年間以上も多くのサイトでやっていたことを今後も続けるつもりだが、今自分におきていることは今まで以上にパワフルなものだ。
もし自分の行動とかエネルギッシュなパワーを調和したりすることを理解できていたら誰でもたやすいことだ。私は「門」の前に立った。そこには誰かが花を置いていた。邪悪よ、去れと私は命じた。頼むのではなく、命じるのだ。
人間のパワーはすごいのだ。悪魔も我々の思いが力を与えている。すべて心のゲームであり、奴らのはったりを見抜く必要がある。
エンティティに去れと、言い続けている間にハートチャクラと手から出るエネルギーの流れに自分を任せた。愛と調和の宇宙的なパワーを自分に流そうとして。数分とかからなかったが、悪意の感情がそれ自体存在できないような別のバイブレーションへと変わっていた。
一行は私がその岩の前で立っていたときも私が何をしているのかよく分かっていなかったが、それでも何かが起きていると感じていた。彼らが感じた変化も全部、写真におさめられている。
ここのエネルギーはおそらくは何千年も邪悪なエネルギーとして存在していたのだろうが、それはたいした問題ではない。我々が持っているのは邪悪なエネルギーではなく、力なのだという以上に重要な表現はない。このことに多くの人が気づいたとき砂上の楼閣は崩れるのだ。
昼間にこの「門」を再訪したとき驚くべきことが次々と起きた。 まず最初に「門」の別方向の開けたところでは皆が邪悪なエネルギーを感じた。もう一度戻ってから同じようにしてみると今度はエネルギーが変わっており、愛おしさを感じた。我々にはそれを感じるだけの力がある。
岩全体に沿って眺めてとらえてみると、なんという光景だろうか。岩は恐竜か竜そっくりだった。
アーティストのニール・ハーグが撮ったこの写真を見たら私の言う意味が分かるだろう。無論これが何だと分かっても、実際に行って見る以上に確かなものはない。
頭が左にあり、中央が高く盛り上がり、右に行くにつれ下がっている。これは逆に右に頭がある竜と見ることもできる。
この写真は恐竜の頭つまり竜の尻尾にあたる。反対側に「悪魔の門」がある。
… そしてこれは竜の頭にあたるところ
他の写真もある。別のアングルからこの頭部を見ると人の顔に見えるし、人のイメージで見ると手のように見える。一部は爬虫類人間、一部は人間ということか?私はそれまでいろいろな旅先でこんなふうな見方が語られるのを聞いてきた。
私は前日にはいなかったメンバーと、翌日その門へ戻った。彼らも同様に最初の夜に感じたものとは異なるエネルギーを感じた。エネルギー変換されていたのだ。このとき別のペルー人ガイドがいたが、その人はその前のガイドよりずっと詳しかった。
彼はその岩について別のイメージを解説してくれた。来るたびに感じるイメージは変わるということだ。他にペニスの形をした岩もあった。これは誰が見ても明らかにそう見える。私はすぐにスペイン語のArbusto岩(ブッシュ岩という意味)と名づけた。理由などない、ひらめいたのだ。
確かにその地は素晴らしいところだった。岩の形状、特に竜のような岩については風と雨の力で偶然そんな形になったのだと思いたくもなる。
だがそうではない。電気的、デジタル的、ホログラフ的バイブレーションから読み取る波形情報のホログラフィック的表現に他ならない。
もし竜人間岩を波形レベルでの情報として受けとるなら、「ええっ、竜に見える」といったホログラフィックな世界を通して読み取るだろう。
竜の岩は、私が邪悪な爬虫類人間のエネルギーが存在しているとはっきりと感じた場所にある。これは偶然だろうか。
その入り口と岩はエネルギーグリッドのバイブレーションをコントロールしていた。しかも一箇所だけではない。
世界のいたるところで見つけられる。それは原発とか主要道路のインターチェンジとかいったところだ。そのエネルギーは人間を標的にしたエネルギー情報をコントロールするためのキーポイントだ。
ヨーロッパの最も大きなストーンサークルは英国のアベバリーにあるが、幹線道路がその中央を走っていて、周辺地域に行くようになっている。
3回目の訪問でこうした事柄を皆に話したとき、私は何かあえぐ声らしき音を聞いた。誰かが空を指差した。そこでは虹のイメージが我々のすぐ頭上のあたりに出現した。
同時に雲が頭骸骨のような形になり、ニ-ル・ハーグが写真を撮った。
もちろんあなたは想像力を働かせて写真の画像を見ることもできる。その地を3回訪れて多くの不思議体験が起きたのも事実。とても否定できない奇妙なことが次々と起きたのだ。
私は何度もこの世界はこんなものだと思われてきたような世界ではなく、全然異なったものだと言ってきた。
ここで起きたことはビデオに撮られており、今年の後半にはユーチューブで見られるだろう。
アイク翻訳委員会:クーニー
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