デーヴィッド・アイク週刊ニューズレター予告編
2012年10月18日木曜日
ウェンブリーへの道・・・
・・・そして、それからどこへ?
人類は、現実が変化していくか、現実が変化していかないのかという決定の道の分岐点にいるが、私も本当にそうなのだ。ここからどこへ。私には判らないし、私はちょうどエネルギーが動くのを待っているところだ。
空港〜ホテル〜会場、空港〜ホテル〜会場の四半世紀に近づいて、しばしば日に十五時間、本を書き、調査し、訴訟事件で私の資産と著作物を守るといったことは、精神面や感情面で非常にすり減っているばかりでなく、精力的、身体的に打ちのめされていた。
さらに、それはすべて非常に大きな嘲笑や悪口を目の前にしてなされ、そのほとんどがそのままで変わっていないのに、その一部は、非常に多くのそうした同じ人々が退け罵倒するのに対して、人々を自らの窮境や自らの周りで起きていることに気づかせようと懸命になることのフラストレーションに現れてあちこちで終えざるをえない。退けるのはよい、それは彼らの権利だ。しかし何故そうした罵倒をするのか。
私はまだ初等学校で半ズボンを履いた子供だった頃の、自分の人生で本当に印象的な瞬間を覚えている。私が『眠れる森の美女』を救う王子によって切り倒される木を演じた劇があった。私は常に最高の役を得た。
茶色のズボンと緑色の枝分かれした帽子を着用した私と他の「木」たちは、王子が見せかけの大鎌で私たちを切り倒す際、床に倒れることになっていた。しかし、私は本気でふるまおうとし、彼がまったく私に近寄れなかったため、私は倒れなかったのだ。なんで私がそんなことを。
他の皆は倒れたが、私は緑色と茶色の小さな胴体の中にひとり立ったままの状態で、ほとんどが父母からなる観衆は、私が倒れることを拒否するたびにますます大きく笑い始めた。それが私にやってくることになっていた人生の準備をさせていたのだろう! 女性の校長であるウィルキンソンさんの反応は、彼女の唯一の服装であるように思われた女教師のツーピースに似合うマイク・タイソンのような肩だった(パッドの必要がない)。
彼女は教室から私を呼び出し、おとぎ話の巨人のように私の前に立ちはだかり、私が学校の恥で、演劇を台無しにし、全員を物笑いの種にしたと私に告げた。まあ、実は、そういえば私は唯一の物笑いの種だった。
私は彼女を見上げて思った。「なんで私に向かって叫んでいるんだ。最善を尽くしていただけなのに」。
その男の子はまだどこかそこにいて、彼は今でも時々同じ疑問を投げ掛ける。
しかし、いったいどんな。あなたはそれをどんどん進めるだけだ。今の状況でそうしないことは、ありえない。
「すまない、遅れて、愛しい人よ、馬鹿な木が倒れなかったんだ。」
【アイク翻訳委員会:司壽】
当記事の本編は後日公開予定です。
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