デーヴィッド・アイク週刊ニューズレター予告編
2013年1月25日金曜日
「教育」・・・
・・・プログラムされるために支払っている
主流の「教育」の手順は、「観察可能な証拠」に基づく「論理的」で「合理的」な情報を伝えることによって、脳の左側をシステム版の現実で圧倒する。生徒は、そして、システムが信じろと命じることを、システムに対して反復しなければならない「試験」と呼ばれるものを受ける前に、この情報を持ち続け、それを入念に復習するように云われる。
彼らがこれを本当に上手くやれば、試験に合格し「進級」する。よく出来ました、ジョニー、よく出来ました、ジェーン、良い評価です。彼らが本当に上手くこれをやり続ければ、さらに大学に行き、彼らのプログラミングの程度を記録するために学位を取るかもしれない。あなたはどれくらいプログラムされましたか。私は第一級の学位を取りました。ああ、第一級のプログラミングですね、あなたはよく出来ました。
ヴァージニア州にあるウィリアム・アンド・メアリー大学の教育学教授Kyung Hee Kimの研究は、創造的思考のトランステストとして知られる計測を用いて、幼稚園と十二年生の間の就学年齢の子どもたちの創造性に焦点を当てた。
彼は、生徒が学校制度を長く進級すればするほど、「子どもたちが感情的に表現力が乏しくなり、活発でなくなり、話し好きでなくなり、言葉の表現力が乏しくなり、ユーモアがなくなり、想像力が乏しくなり、型破りでなくなり、元気や熱心さがなくなり、明敏でなくなり、一見無関係な物事を繋ぐ傾向がなくなり、まとめる力がなくなり、違う角度から物事を見る見込みが少なくなる」といった、創造性の「大きな」減退を発見した。
これらはすべて開放的な、一匹狼の[マーヴェリックな]、諸点連結的[ドット・コネクティング]な脳の右半球の特徴であって、左脳に認識を支配させ、集団的に左脳社会を構築するために、教育(プログラミング)制度がそれを抑圧しているのだ。世界中の若者は、システムが信じるよう命じたことを首尾よくシステムに示したことを期待して必死に試験結果を待ちながら緊張し心配している。私はプロサッカーをするために十五歳で学校を去った(待ちきれなかった)し、自分の人生では主要な試験を受けたことがない。ふう、なんとした逃避だろう。
試験に通れば、学位は、科学、医学、学術研究機関、法律、もしくはさらに政治やメディアの専門になる選択を与える。それらは学位取得者によって支配されているのだ。科学者、医者、研究者などの志望者はそれからもっと多くの試験を受け、彼らの専門の機関に、信じるよう命じられていたことを示し、もしも非常に上手くこれをするなら、彼らは「科学者」、医者、弁護士、何かの教授になり、さらに非常に成功して、そうした機関を動かし続けるかもしれない。なんて素敵なのか、ある小さな問題を除いては。
それはすべてクダラナイ。
この「観察可能な証拠」に基づく「合理的な論理」とは幻想なのである。「合理的」と思われることは、何がリアルなのかというあなたの感覚によって表される観察のうちの一点にすぎない。もしもその現実の感覚がまず第一に全くのナンセンスであるなら、あなたの「合理性」も同じだろうし、「論理的」であると認識されたことに関しても同じである。
これは長い経験と多くの観察の後、デーヴィッド・アイクと呼ばれる男によって発見された、いわゆる「アイクの法」と一致していて、それはナンセンスはナンセンスを招くと主張している。それは、明らかに、因果律と密接に関係している。
ナンセンスはナンセンスを招くが、そんなわけで人間の社会がナンセンスに圧倒されているのである。
【アイク翻訳委員会:司壽】
当記事の本編は後日公開予定です。
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