デーヴィッド・アイク週刊ニューズレター予告編
2013年3月2日土曜日
私には魂の強さがある・・・
・・・私にはハートの信念がある
私は今週、YouTubeでFaith of the Heartというロッド・スチュアートの歌のビデオに出くわした。その歌詞はたくさんの記憶を甦らせ、それらの全てが素晴らしいというわけではないが、明白な理由で、与えられた私の人生でもある。
しかし、それは非常に適切でタイミングがよく、私がまとめるのにほぼ四半世紀を費やした情報を伝えるうえで何が大きな現状打破になるかという瀬戸際で、いま再びそれを聴くべきだったのだ。
歌は、次のように云っている。「あそこからここまで長い道筋があった・・・長い時間があった。」
確かに、一九九一年に、私がどんな惑星にいたのか、ましてや何が起きているのかさえ判らないといった自分の現実感の桁外れな変容のために、私は大規模な嘲笑のスポットライトにまばたきした、明らかな自己破壊のふちから戻るのには長い道筋があった。私が英国大衆のかなりの割合に見られるゴールデンタイムのトークショーに出るようにとの誘いを受入れたのがこの時だが、さらに多くの人々が私の「精神錯乱」に関するスッパ抜きを新聞紙上で読んでいた。
大量のコラム欄に私は「壊れている」と書かれたが、事実、私には現状打破があった。私の現実感の破水は、私をこの幻想の世界の牢獄の認識から解放していて、突然、私は他のほとんどの人が見られなかったものを見ることができたのだ。
それが起こるときは、彼らが探している言葉が「変わっている」である場合、嘲笑されたり、非難されたり、精神異常者との烙印を押されるより別のシナリオはありえない。これは私より以前の非常に多くの人々に起きたけれども、同じように一時にやむことなく情け容赦ない規模だったとは私は思わない。
ほとんどの他の人々が見られなかったものを私が見始めたと云う場合、これは自慢やなんらかの特殊性を主張しているのではない。私の核心は常に私たちすべてが同じ無限の認識であり、私たちはそれ故にすべて同じ「特殊性」の表出であるということだ。
破水は誰にでも起こる。それは、支配的な現実がルーニー・テューンズ[訳注:アメリカのアニメ]提供によるという、この幻想と妄想の世界における一生の、プログラムされた認識を投げ捨てるというひとつの選択にすぎない。
非常に多くの人々が今日世界中でその現状打破のプロセスを経験しており、私は私自身の極端な経験からそんな人たちに激励と安心を与えたいと思っている。
あなたはおかしくなりつつあるのではない。あなたは正気になりつつある。
その価値がある? 毎秒ね。
Rod Stewart: Faith of the Heart
【アイク翻訳委員会:司壽】
当記事の本編は後日公開予定です。
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